発熱の文(ほつねつのもん)

発熱の文 29 病床は三昧道場


 弥陀三昧と云うことは、余のすべてのこころを捨て、一に弥陀の光明中に精神を投込んでしまうことなのです。もう宇宙間は如来の光明に充満て、一切の物は悉く沈没して何もない。只大光明中につつまれ摂められつつ在るのみという観念であります。
 病気なんか能くなろうが悪くなろうが、其の様な物に待遇している隙はないから、いやならさっさと出てゆきなされ。自らは一大事の大光明中の方に如来さまを歓迎優待して、自らは精神的に生れかわらしていただくと云、一生一代の一大事の場合、また明日をまつと云様な悠長な閑事業ではない。今日一日は尽未来際またなき大事の日なれば、其つもりに取かかって居る念仏三昧の事なればと云精神にて修しなされませ。
 病床の間処また三昧道場にて候。


現代語訳

 弥陀三昧とは、〔病気の事を含め〕、他のすべての〔事を考える〕こころを捨て、ただ一心に阿弥陀さまの光明の中に精神を投げ込んでしまうことをいうのです。もはや宇宙空間は、如来さまの光明に充ち満ち、すべての物は悉く〔心の中から〕消え何もない。ただ大光明中につつまれ、摂められつつあるのみという観念なのです。
 〔ですから〕病気のことなど、良くなろうが、悪くなろうが、その様なことを考える隙はないのです。〔如来さまの光明中に包まれることが〕嫌というのならば、さっさと出て行きなさい。私は、私自身を救済するためにある大光明中の方に〔心を向け、また心に〕、如来さまを歓迎し優待して、精神的に生れかわらせていただくという、一生一代の一大事ですから、そのうち考えようという様な悠長なひまにまかせて勤める事業ではありません。今日一日は、永久にまたとない大事な日なのですから、そのつもりで、取りかかるべき念仏三昧であるという精神にてご修行なさって下さいませ。
 〔お寺の本堂や仏檀のみならず〕病床もまた三昧道場なのです。

解説

出典

『御慈悲のたより』上巻51頁、『ひかり』平成29年7月号参照。田代皓月宛の書簡。

掲載

機関誌ひかり第728号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」