発熱の文(ほつねつのもん)

発熱の文 30


 如来は神聖と慈悲の尊容を真向にして、一切の時、一切の処に在ます。今も此身を照鑑し玉うなりと憶い上れば、自ら恭敬の念生じ候。
 私共のような気ままものには、只口に称名する計りであると、尊敬の念も生じ難く候えども、絶対人格のいと尊き如来、現に尊く厳臨し玉う神聖なる尊容を瞻む想のなかには、自ら頭をたれて崇敬の念が起り候。されば人にすすむるにも、矢張り人格的の如来さまに離れぬようにすると、其方が宗教心が確かに成と存候。


現代語訳

 如来さまは神聖と慈悲の御顔を向けて、いつでも、どこにでもいて下さいます。今もこの私をご覧になって下さっていると憶えば、自然と如来さまを敬う心が生じてくるのです。
 私達のような〔雑念、妄念ばかりの〕気まま者は、〔心に如来さまを憶うことなく〕ただ口に「南無阿弥陀仏」とお念仏するのみであると〔の心得えであれば〕、如来さまを尊敬する思いは起こりにくいのです。だからこそ、今ここに絶対的な人格者としていらっしゃる如来さまの神聖な御顔を仰ぎ見る想いの中に〔南無阿弥陀仏とお念仏を称えていると〕、自然と頭がさがり、崇敬の念が起ってくるのです。ですから、人に〔お念仏を〕お勧めするときにも、やはり人格的な如来さまから離れないようにする方が、宗教心が確かに育まれていくのです。

解説

出典

『御慈悲のたより』上巻58頁、『ひかり』平成30年2月号11頁参照。福岡県専福寺宛の書簡。

掲載

機関誌ひかり第729号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」