弁栄聖者遺墨

阿弥陀如来座図

「大正三年九月下旬 為本誉法順上人」と落款左上に為書きされており、この長岡法蔵寺住職浅井法順師は、大正7、8年3月の辯栄上人導師知恩院勢至堂如法別時念仏三昧回に随喜され、二度目の参加後帰山ほどなく3月25日48歳で往生された。後に「念仏三昧七覚支」稿の謄写版表紙に笹本戒浄上人も、「不背法順老上人荘厳浄土 大正八年三月廿五日還本家」と特記されているほどである。(空外遍著『辯栄上人書簡集』)。光明会中抜群の高僧で、その為書きの阿弥陀如来座図だけに、これは誠に逸品である。(117×50cm)


聖徳太子図

日本文化・日本仏教の父である聖徳太子は、また弁栄聖者の光明主義の祖とも仰がれるだけに、そうした含蓄の窺えもするこのような傑作を遺していただいたのは有難い事である。(絹本淡彩 139×52cm)


細字大涅槃図

全図の右上「大般涅槃経」の五字が経字で取り巻いて太く記せられ、人物・動植物など、みなこの経字で線にあたるところが記されている。(下・部分拡大図)(266.5×182.8cm)


三昧仏図

三昧仏図は上人の作品としては最も多く、かなり普及しているが、この三昧仏は上下に金泥文字で十二光仏すなわち

無量寿如来(如来 経ハ仏)威神光明最尊第一諸仏光明所不能及是故号為無量光仏無辺光仏無碍光仏無対光(光原ナシ)仏炎王光仏清浄光仏歓喜光仏智慧光仏不断光仏難思光仏無称光仏超日月光仏

とある。この無量寿経巻上の「光明歎徳章」中の十二光仏は、後に掲載の書簡にも明言されているとおり、これを主体的に前向きに取り組む前人未踏の課題こそ上人の出世の本懐とまで自覚されたものだけに、これを上下にしての三昧仏図は快心作でもあったのであろう。(92×41.5cm)


三聖来迎曼荼羅図

この来迎三尊図は上人親筆の箱書もあり、新潟での後期入念の神品である。(74×43cm)


両手同時逆筆結縁御名号

朝参りなどのとき、参詣者に結縁のため、半紙を各自に持たせて両手同時逆筆されることのある、そのナマを収蔵したのである。したがって落款も印もない。それがかえって尊いので、上人のいのちの生動が窺える。そうでない揮毫のは他にいくらもある。あえて結縁名号と名づけたゆえんでもある。(紙本墨書 31×61cm)


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