他場所 平成27年11月

第39回 大巌寺別時念仏会

山本 サチ子

◇日時:9月18日(金)~20日(日)◇会場:檀林 龍澤山 大巌寺(千葉市中央区大巌寺町180)◇導師:藤本 浄彦上人◇参加者:63名

はじめに

山門を入ると新しく建立された観音様が優しく微笑んでおられました。中庭の全体がより一層美しく生まれ変わり訪れる人々に安らぎを与えます。

長谷川匡俊先生のご挨拶の後『衆会』の詩を歌い会は進行されました。

ご法話

講題『如来光明礼拝式』の成立・形式・内容(1) ご法話は『衆会』の詩の大意を話されてから本論へと導入されました。

はじめに視点を絞り生きる現実を凝視し宗教の特性へと方向を定めて、人間の持つ貪〈むさぼる〉瞋〈いかる〉痴〈おろかさ〉=煩悩(三垢)の働き煩悩に振り回されている人間の生き方に究極的に迫った視点から考えていきます。そのためにはそこにどのように立ち向かうのか①「究極的な意味を明らかにし②問題の究極的な解決」へと方向を定める。人間自身の煩悩は人間の力ではコントロールが不可能です。それにはほとけの力に依る阿弥陀仏の光明の働き(光明摂取)を頂いた生活をしていくことです。3日間の期間中午前と午後に各1回(総計6回)に及ぶ内容の濃いご法話でありました。

『如来光明礼拝式』の成立とその意義 弁栄聖者と浄土教の点描と題し年代順に弁栄聖者/弁栄上人/浄土宗と対比させながらの法話でした。

弁栄と弁匡の宗教的資質は年譜で追跡する限り対照的です。弁栄は江戸期の檀林教育の伝統を体得し近代教育には縁がなかったであろうが布教教化の現場で田舎人の生きる意味とその問題解決のために心の襞にトツトツと接する念仏者であるのに対して弁匡は学研・教育の現場エリート的雰囲気の文化人に啓蒙的発想にたつ社会的観点から縁起の方に基づく社会活動としての念仏を斬新に説く。それゆえに、弁栄と弁匡の出会いがあったとすればこの上なく興味が湧き出る。弁栄の「光明主義」弁匡の「共生主義」を両輪(個人と社会)とする念仏信仰へと新手・充実するときに、現代の課題に必ず応答しうる法然仏教、現代日本仏教の未来がある。

◆弁栄上人が24歳の時、筑波山において二ケ月にわたり念仏修行をなされた。その折の念仏三昧発得の証悟の内容を偈に表わし、

弥陀身心徧法界 衆生念仏仏還念
一心専念能所亡 果満覚王独了々

阿弥陀仏が現前し、その宗教経験の世界が了々として開かれていかれた。念仏する人の心をどういう方向に導いていくか、それを三昧にどう導いていくのか。この体験はその後の上人の宗教活動となっていき『礼拝儀』作成にも多大なる影響を与えた。 『如来光明礼拝式(儀)』の内容的特徴 弁栄が57歳で73頁からなる折本『如来光明礼拝儀』を20万部刊行したということは驚異的なことである。内容的特徴を4点あげています。

第1:カナ交じり文でルビを付した日常的言葉の多様。
第2:朝の始まりの帰命・感情・発願、夕べの終わりに感謝・懺悔・廻向あり。
第3:近代日本の文化・価値と敏感に交響するがごとき用語が何の抵抗もなく〝式〟の意味・意義を感得させている。 
第4:阿弥陀仏教への普遍的情感を催す何かがある。 

『礼拝儀』には念仏することによりこんないいことがありますよと〝如来光明歎徳章〟(4頁)、に記されてある「其れ衆生有てこの光に遇うものは三垢消滅し身意柔軟に歓喜踊躍して善心生ぜん」。『礼拝儀』の持つ影響力は食前のことばにもあり、念仏をすることにより身口意ともに貪・瞋・痴がよくなるのである。

結び

現代社会は人がどのように生きるかが話題になってこない。経済がいかに発展しても人間の幸せはそれのみでは癒されません。私達はそのことに気付いて三垢消滅する念仏の生活を日々実践していくそのためには光明大系を受け止めながら生活することが大事です。先人の大偉業を少しでも生かし精進していくことが重要であります。報身・法身・応身の光明を頂きながら生活していくことです。皆様是非〝念仏をしましょう〟

藤本上人は持参なされた5巻の礼拝儀の紹介と説明をなさいました。大変貴重なお話でした。参加者全員で弁栄聖者より「大谷仙界上人に賜りし御慈悲のたより」を朗読し最後に「法のつどい」を歌って終了としました。

おわりに

別時を無事終了できましたことは一重に長谷川匡俊先生はじめご家族の方々そして幼稚園・保育園の関係者の皆様の御蔭です。深謝申し上げます。

そして遠方の山口県からおいで頂きました導師の藤本上人・参加者の皆様ありがとうございました。念仏が一人一人の幸せへと繋がりますようにそして一人でも多くの仲間を作り来年また大巌寺の別時念仏会でお会いしたいと思います。