他場所 平成27年10月

第60回 高野山別時念仏会 報告

池田 和夫

大阪中央光明会主催第60回高野山別時に参加して

平成27年8月1日から5日迄。毎年開催されていた高野山別時が、今年60回目を迎え、田中木叉上人・藤堂俊章上人・佐々木隆将上人・工藤真徹上人と各上人方を導師として、毎年継続して開催されてきたが、今年は第60回を迎え人間でいえば還暦、これを期に今年から更なる発展を期し故光明会上首・隆将上人の御子息でもある光明会理事長金田隆栄上人を導師に維那には地元真言宗僧古川師を迎え再出発を期しました。

私も青年時代から、地元和歌山県人でもあり、特にご縁の深い上人方のご指導を頂けるのが楽しみで、出席できる時は必ず参加させて頂いておりました。しかし、残念ながら歳には勝てず、今年、86歳となり、自家用車で運転はして行けましたが、補聴器を持参しても導師のお話は充分聞き取れませんでした。ひざも正座が出来ず、毎日使っております座椅子を持参して、木魚も結婚式のお祝いに京都学生光明会から頂いた木魚も持参して参加しました。

時は、弘法大師1200年祭の開催中。宿坊には、世界遺産に指定されたためか、外国人の宿泊者も多くみられた。

光明主義の別時が何故真言宗のお寺で行われるのか? 維那が真言宗の僧の方なのかと不思議に思う方も多いだろうから、この機会を利用して私の経験を通じて報告しておきたい。私が、まだ学生時代高野山には3人の独身の管主さんがおられた。清浄心院の管主さんと日本最古の博物館である霊宝館の館長と、日本最古の佛教大学ともいえる高野山大学長にもなられた天徳院の管主・金山穆韶師。その金山穆韶師に、南葵光明会の会員の方の紹介でお会いする機会を頂き、私は、結婚間もない頃でしたのでなぜ「金山管主さんは、独身でおられるのですか? さびしくないのでしょうか?」とお聞きしたことがありました。すると、「さびしいですよ」と言われた。さもありなんと思い、黙ってお聞きしていると、「でもね、私は、小僧の頃、仏様にお目にかかってね、懐かしうて、懐かしうて、とうとう独身で過ごしてしまいました」と言われました。

弁栄聖者も、まだ幼いころご生家の裏庭のかなたに弥陀三尊を想見されたとの事を思い出して、お話をお聞きしていました。記念の写真を皆様ともにに撮っていただきました。

お別れの時、「仏を求めて」と題する。昭和28年6月15日天徳院発行の130頁のご著書を頂いた。

其の最後のページに「弘法大師は、法身大日如来の大覚現証の時、一切衆生とひとしく大覚の大光明に照らされ、救われて佛子として再生し、御佛とともに永劫に慈悲の聖業を成ずる天道を説くものであります。」と述べられていました。

又弘法大師は、法身仏に帰命すればその光明に霊化せられ、救われるのを明かすものであります。大師は、現に法身と倶なり。一切衆生を救い給いつつましまされるのであります。

又弘法大師も弁栄聖者も修行された求聞持法を金山穆韶師も修されるなど証信を得られたお方でありました。

法報応三身は一体であるとも述べられているところもあり、弁栄聖者が法然上人や徳本上人について語られることの多いように密家と称して弘法大師の事を御遺稿のなかても良く語られておられることも決して高野山の持明院でお別時を開催できることも不思議ではありません。

それから私事でありますが、わが家に近接して建てている借家に、偶々空き家になってましたので、不動産屋などを経由せずに、最近入居して頂き、しかも高野山お別時に一緒に参加して下さるために一ヶ月以上前行として自ら進んで毎朝午前六時から七時迄礼拝儀で朝の礼拝を共にして下さり、別時終了後も、毎日念仏三昧を続けて下さっている安楽保一さんという法友を如来様から授かっていることを高野山別時の成果としてご報告しておきたい。

私は16歳から光明会にご縁を頂き。入信当時は朝の礼拝は欠かしたこともなかったが、仕事の関係や、みたいテレビの時間のことなどからいつの間にか夜型になってしまっておりました。光明会本部聖堂の杉田上人が、過日、御遷化されたので、私の大学卒業の時、書いてくださった記念の言葉を表具して片付けていたのをおもいだし、おかざりしたところ次の言葉を頂いておりました。

 清旦は、心気爽やかにして定心得易し
修行せん者清旦の入定を怠る事勿れ
善孝

 ああこれだと杉田上人から大声で叱られたように感動してよみかえした。16歳から念仏しているのに何故まだ如来様がいつも、お目にかかってくれないのかと最近どこかおかしいのではとまでおもい始めていたところ、安楽さんはいつも5時起床ですと言われた。それなら私も安楽さんにあやかって朝型の生き方を復活しようと覚悟を決めたところ、無理に進めたわけでないのに、自主的に朝の礼拝に参加くださいました。これは間違いなく如来様の「陰に大悲の力ぞえ」だと確信しました。

 さらにうれしいしらせ。高野山から帰宅したら、私の長男・池田智彦から電話があった。私の長男の長男・池田達彦が、お別時結願の日、長男・池田壮真を出生したとのことだった。仏前に名前を読み込んでできた和歌を捧げて光明生活のできる佛子に育つよう祈願する。

いつみても健気な心抱く人に
そだてられかしうるわしきまま    合掌

大阪中央光明会主催のお別時に初めて参加して

安楽 保一

 高野山光明修養会別時第60回を迎えられ本当に、おめでとうございます。

私は、お別時への参加は勿論、光明会のお話を聞くのも初めてでした。

池田先生のお隣りに住み、初めて池田先生と知り合い、お念仏のご縁をいただいたのは、本当に如来様の御引き合わせだと思います。

 私、生まれて70歳になりましたけど、こんなことは思ってもみませんでした。なんといってこの気持ちを表したらいいのかわかりませんが、池田先生と知り合い、池田先生が仏様に見えます。本当に高野山別時に参加させて頂き感謝に耐えません、また参加したいと思っています。

高野山別時念仏修養会感想文

平田 るい子

高野山持明院での別時念仏修養会に初めて参加させていただきました。
特に今年は、高野山開創1200年に当たる年ということで是非お詣りしたいと願っていました。
木魚も今回初めて触ったような次第で、年に数回のお墓参りや法事の時以外は、「南無阿弥陀仏」さえほとんど唱えたことが無い私です。いきなり「5日間の合宿に参加してもいいの?」と思いながらの参加でした。
主人が「ひかり」を毎月読んでいたので、高野山での合宿には前々から興味がありましたが、今回思い切って参加出来てとても良かったです。

まず、静かなお寺での念仏三昧の時間。毎日忙しく明け暮れているので何よりもありがたい癒やしの時間でした。
質素ながらも優しいお味の精進料理心まで透き通るような思いでした。
講師の皆様のお話もとても興味深く、もっともっとお聞きしたいと思いました。

最も印象に残ったのは、初めて体験する回向供養でした。
自分達のご先祖様の回向供養をお願いした後、ふと「この合宿が終わって広島に帰ったら八月六日原爆記念日だ。」
「原爆にあわれた方々の回向供養をお願いしたい。」という思いが沸いてきました。
最終の受付にて、回向供養を申し込むことができ安堵いたしました。
原爆にあわれた方々の回向供養には、思いを込めて読み上げていただき大変感動いたしました。
知らないことだらけ。念仏の唱え方もよくわからない私たちを暖かく迎えていただきありがとうございました。
スタッフの方々にも沢山ご指導いただきとても感謝しています。
また来年も是非参加させていただきたいと思います。