聖者の俤 No.80 乳房のひととせ 下巻 10 聞き書き 其の十

乳房のひととせ 下巻29

中井常次郎(弁常居士)著

8 聞き書き 其の十(つづき)
当麻山無量光寺にて
八月四日よりの十二光仏講義

法然上人と親鸞上人は、丁度お釈迦様とキリストに似ている。法然上人は証入してあったが、親鸞上人はまだ帰命時代である。法然上人に比べては、証入の度合いが足らぬ。けれども助かってある事は確かである。

三、安住―安立ともいう。情操的信仰である。

信仰がここに至れば、心は常に如来の中に安住する。自分の心は地球の如き小さい処にばかり住んでいない。宇宙が住み家である。

夫婦の間には情操あって、互に犯し、犯されず道を守る。信仰においても、また、深く如来を信じた上は、千仏万仏が現れて、わが信ずる如来の実在を否定するとも、如来を信愛する情に少しのゆるぎも無く、外からの碍げでは信仰が動かされない。これが安住の信仰である。歓喜の心はここから湧き出る。

智慧光

仏智見開示。開示を啓示または黙示ともいう。

知的作用のうちで、人生観、宇宙観などは、単に人間の方面より見たものである。しかるに、啓示は如来より与えられるものである。これを得たのが証信である。

仏智見開示の事を、キリスト教では啓示または黙示という。それは如来の実在を正しく示される事であって、実感である。また、聖霊を感ずるともいう。三昧成じて霊感を得る事である。啓示が深くなれば、開示悟入と進む。

啓示に伝承的〔経典や師の言葉による啓示〕と親躬的〔自らその行に親しむ中で得られる啓示〕との別がある。信仰に入るに、聖道門で戒定慧の三学による。即ち入門の初めは持戒である。キリスト教では、洗礼を入門の式とし、念仏門の内、真宗は信心以本。浄土宗は「念仏以先」で信仰の門に入る。

真宗は「当流の安心は云々」という。これは伝承的である。自ら一心不乱に念仏して悟るは親躬的である。

啓示に内的啓示と外的啓示とある。経文は心霊界の事を説くか外部を示すのみ。即ち外的啓示である。教権文字は方便である。実感、実証は内的啓示である。

 

啓示の心相

仏智見開示後に於ける心相を説く。啓示に形式四相あり。

開(十住) 如来蔵開かれて体を見る。
示(十行) 空、真如の本体を悟る。
悟(十廻向)仮、心の内外に現れたものの総て。
入(十地) 中、空ならず、仮ならず。

信仰の進みにおいて、かくの如く階級的に如来の徳が示される。諸仏がこの世に出られるのは、衆生の仏智見を開示悟入せしめんが為である。

一心に十界あり、各階に十界ある故、百界となる。宇宙に十界ある故に千階となる。而して各階に空仮中の三観ある故に一心三千という。これを明らかにするを「示」という。光明主義では、

感覚的啓示―勝妙の五境(色声香味触)を感ずる。即ち浄土の依正を観ずる。生活に無くてはならぬ一切の道具立てを依報といい、主人公を正報という。天地、宮殿、宝樹等は依報にて、仏、菩薩は正報である。
如来の内徳即ち智慧、慈悲が示される。仏身を見る者は、仏心を見る。仏心とは大慈悲なり。如来の説法を聴き、予言される。
如来の法身体を悟る。姿や形を立ち越えて、何ともいわれぬ霊妙体を悟る。これと浄土の荘厳や仏の相好に一体不二なる事を知る。
無量の総持、三昧を得る。神通を得、一切仏法に証入する。

不断光 意志の信仰

主我主義(我欲)
世界動機(名誉、財産、即ち名利)
世俗情操(義理、人情)

我等が一日一夜に起こす八億四千の念々の原動力は意志である。これが人格の核を結ぶ元因をなす。
不定意向は三善道、三悪道の業因である。             
弥陀の本願(聖意)を得、回向とて、己が意志を聖意実現に振り向ける時は正定聚に入る。
日常、感情の動かぬ時でも、意志は動く。意志に不識的と意識的との別あり。赤子が乳を飲むのは意志なきに非ざるも、不識的である。また、初めに注意してした事も、度重なりて馴れれば、不識的に容易にできる事がある。
消極的方面―まだ光明を受けぬ間は自覚なき故に、動物的である。光明を獲れば、名利の欲や世俗情操に捕らわれる事はよく無い、即ち真理にあらざる事がわかる。人は宗教的の大自覚なくとも、各々何か主義を持っている。子供や愚かな人は本能的欲望で動く。それが発達して意識的即ち主我主義となる。自分の物と他人の物との別を知り、そこに我欲が起こる。そして人生の目的は肉欲我欲を満足さす事だと思い、その為に働く。世の中に都合の良い人に成りたい、偉い人に成りたい、などの考えは世界動機に基づくものである。かかる心に支配されてはならぬ。世俗情操とは、義理や人情であって、人格の中心を為すものである。

〈つづく〉

「聖者の俤」について
「ひかり編集室」は、現在、聖者の偉業を「新・真・深の法門」として、皆様方にわかりやすくまとめるために、聖者のご遺稿や聴書等の整理をしています。
その一環として、聖者と縁者の出会いを、まとめていきたいと思っております。
いかにして信仰の火が、聖者から縁者に伝わっていったのか?またどのような心境の変化があったのか?その経緯をひもといていくことにより、聖者とこの『ひかり』の書面を通して出会い、さらには私達の心にも、火を灯していきたいと思います。
ひかり編集部より
本稿は弁栄聖者とご縁の深い中井常次郎(弁常居士)様の著『乳房のひととせ』上巻より抜粋して掲載しています。この本は昭和16年に発行されましたが、現在入手困難となっており、未読の方も少なからずいらっしゃると思います。ここで再録し、聖者と著者との出会い、信仰の深まり、そして聖者の人格とご法話に触れていきたいと思います。現代仮名遣い、旧漢字を現代常用漢字に改めるなど、読みやすさを最優先し掲載いたします。
また〈 〉の中の表記はひかり編集室にて、前の単語熟語を説明し、また難解な文を補足した箇所です。