近畿支部 令和2年1月

令和元年近畿支部弁栄聖者ご祥当会

佐野成昭

 十二月一日(日)午前十時より午後四時まで京都山科念仏道場にて合計十二名の参加者を得て弁栄聖者ご祥当会を開催しました。島根県向西寺住職の山上光俊上人をお導師としてお迎えし、二席のご法話を頂きました。維那と大木が筆者。
 時間割は午前十時より朝の礼拝とお念仏。十一時法話、十二時昼食、十三時聖歌「聖きみくに」で始まりお念仏、 十四時ご回向、五分後法話、三時半聖歌「のりのいと」、座談会で十六時半終了の予定でした。
 しかし、今回山上上人は、来られた時から風邪で熱が三十八度あり胸を痛めておられ、それを押しての事でしたので、最後の座談会は、途中で止めて救急車を呼び病院に行くことになりました。診断の結果、今流行しているインフルエンザでは無く「急性上気道炎」でした。座談会の参加者は、一部帰り、大半は残り、診断の結果とタクシーでのお帰りを一時間程待ちました。その診断結果を聞き、安静にしていれば三、四日で治るとのことで皆安堵して帰りました。参加者の中に医療者がおられたので色々適正にお手伝いと判断をして頂き助かりました。水、健康飲料のペットボトルを買いに行って下さいました方、救急車に乗り込み御世話された方がいて下さいました。果物・おかゆを提供した方がいました。その日は、暖かくして寝て緊急宿泊して頂き、翌日には帰宅出来る体調になりましたので島根に帰られました。尚、月初め五日間(下旬も)の別時念仏者が2人おりましたので、山上上人の病気対応が最後迄出来ました。参加の皆様に感謝申し上げたいと思います。
 「光明主義の・・・弁栄上人を偲んで」と題したご法話は次のように理解しました。〈 〉内は筆者の補足の言葉です。

午前の席

 弁栄上人自らご遺稿に残された光明主義の教えは、先ず1.『如来光明礼拝儀』 2.『宗祖の皮髄』 3.『人生の帰趣』である。他の本は、田中木叉上人が編纂されました。「礼拝儀」について、数学者の岡潔先生は「この一冊に大宇宙のすべての真理が書かれています」と述べているように光明主義の拠り所となる大聖典です。念仏三昧で仏眼を開き実験実証の上で書かれたものです。すべてこれを基準にしなければなりません。でないと弟子以降の私的な説で脱線してしまいます。〈筆者も誠にそう思われました。〉
 
 光明主義の特徴はどの世界の宗教をも包括する世界最高の宗教です〈直弟子柴武三弁護士も詳しく著述している〉。他宗を邪宗と言って戦いません。光明主義の凄い所は、本質的にエッセンシャルな(欠くべからざる・本質的)教えです。「法身・報身・応身」が「三身即一」であることで画期的な教えです。また、「本有」〈有り通し〉表現も画期的。また、「大ミオヤ様がいつも私の真正面に居て、私をみそなわしてくださる」という実体験上の教えです。如来様と呼ぶよりも私の親のように、かつて無かった表現:「大ミオヤ様」と親しく呼ぶことは、重要で画期的です。心霊界と自然界と表現されたことは分かり易いです。尚、筆者が期待していた十二光は(たからのかぎ)であると弁栄上人が説かれた内容についての特徴の言及はありませんでした。
 

午後の席

 弁栄上人は、現前の如来様に呼びかけるように(呼格)書いている礼拝儀の特徴があります。「皆様礼拝儀を見て下さい」と言って一頁「尊き唯一の如来よ」と現前の如来様に呼びかけています。以下全ての6つの「至心に○○す」を読んで「・・・よ」を何度も示しました。
 二頁は、「・・・今現にに在ますことを信じて 一心に恭礼し奉つる」は、大ミオヤ様が、いつでもどこでも離れず真正面にいらっしゃると思い信じなさいと述べています。これは念仏三昧の不離仏値遇仏〈『大智度論』〉です。そこを、法然上人は次のように歌いました。

われはただほとけにいつかあふひくさ
こころのつまにかけぬ日ぞなき

〈この「つま」は、「妻」と弁栄上人が『宗祖の皮髄』で説いています。専門家も含め世の中は「端/軒」と解釈していますかつて筆者は、西陣念仏会で「妻」と説いて「それでも浄土宗僧侶か!」と参加者から怒られた経験があります。当会員もよく誤っています。そのように浄土宗本山の解釈は上記で妻ではありません。このお歌を読むと、恋人を思うように胸が高鳴り、実感的な良いお歌と感じられます。〉
 それから、心理的状態として、礼拝儀の「光化の心相」の歌詞を読まれました。そして、「歎徳章」は体系的ですねとおっしゃいました。