関東支部 令和元年12月

一行三昧会

佐藤 蓮洋

◇日時:10月6日(日)
◇会場:光明園
◇ご講話:佐倉 聡氏
◇参加者:13名

 今年も光明園の庭の柿が色づきはじめ、もうすこしで三昧仏様にお供えができそうです。いつものように大南園主を導師として、午前9時から正午までお念仏と聖歌を称え、午後はご講話、聖歌、お念仏、ご回向をいたしました。
 今回は、元神職であられ、現在は高齢者や障害者の皆さんのお世話をする福祉の職場で日々、悪戦苦闘されている佐倉氏に、生活に即したお話ということで、ご講話をお願いしました。

1、他者のお世話になる、生老病死の現場

 今は神社の仕事を辞めて、老人と障害者の施設で仕事をさせて頂いています。あるおばあさんの話ですが、幼い頃、空襲時に大腿骨を大怪我して以来、歩行が不自由になり、近所の子供たちにひどくいじめられたそうです。今は施設にいて、真夜中の2時頃にベルを鳴らす。飛んでゆくと「私はなんでここにいるんでしょう・・・」と言われる。次に10分後に再び呼ばれ「私、狂っているんです。私は誰にも必要とされていません。」と訴えられるのですが、何ともできません。そして、また別の部屋の方からベルが鳴り、慌てて駆けつけると「自分がなぜここにいるのか・・・自分が何のために生きているか、わからなくなってしまった」と嘆くご老人がいる。皆が寂しく不安なのです。
 また、障害者福祉の現場では、離婚したお母さんが障害者のこどもの世話を一人で行うことに疲れてしまい、子供を置いたままどこかに消えてしまう。そのあとは、おばあちゃんが孫である子供の世話をするけれど、自転車で買い物に行った時に事故にあってしまい、その子は自宅で暮らせなくなる。こういう例は多くあります。
 また、重い知的障害者の子供は、「コーヒーを飲みたい」と訴え、「今は、おやつの時間でないから飲めないよ」と言っても、その子には理由がわからないので、「飲みたい!飲みたい!」といって、座り込んで、大声を出しながら自分の頭を床に何度も何度も打ち付けて、パニックになって自傷行為をしてしまう。それをとめようと、暴力は絶対にいけないので、抱きかかえたり、気晴らしに散歩に連れて行くなど、一生懸命に対応いたします。そういう現場にいると、「人間とは何か、私とは何だろう」という問いに、いつも直面します。
 こうした日々の問いの積み重ねが、大きく立ち現れてきたことがありました。私と同年代の難病患者の方が、食事をしようとスプーンを口に運ぶけれど、うまくいかない。次の日は、そのスプーンを落としてしまう。大声で泣く人の食事介助をしながら、突然不思議な映像が私の心の中にはっきりと見えたのです。それは、私が難病患者で、彼に食事の介助してもらっている映像だったのです。  
 この不思議な体験をして以来、人間の「いのち」とは何かを、本当の意味で考えるようになりました。そして、そこで行き着いた人間の真実の実相は、これしかなかったのです。それは四苦、生老病死。恥ずかしい話ですが、いろいろ勉強していましたから仏教の基本である生老病死は、分かったつもりになり、すっ飛ばして考えていたのです。福祉の現場にいると、人間にとって最も確実なものは、生きていくこと、老いていくこと、病気や障害を負うこと、そして死んでいくことなのです。当たり前のことですね。問題は、生老病死という現象がなぜ「苦」なのかです。福祉の現場にいると、他に生存が依存している状況そのものです。赤ちゃんもおしっこ、うんこや食べることを世話してもらう。大人も老いて生活力がなくなると、食べることを手伝ってもらい、病気になるとお医者さんのお世話になる、死んでも自分の死体は自分で処分できない・・・自分の存在は依他起性なわけです。具体的に言えば、食べること、排泄すること、服を着せてもらうことが基本の介助ですが、これができなくなるのが四苦の極限。自分の生存が自律して行えない状況になっている。自律が脅かされている。他者に依存するしかないわけです。
 しかし、この介助される状況を(特に男性は)「俺はだめになった」「俺はおしまいだ」という。でも、なぜ、他の人に依存するのが苦なのか、恥ずかしいことなのか。
※現代の介護の世界では自立支援が目標とされています。生活意欲を高め、 自分でできることは自分で行う。この理想は尊いものですが、施設や事業所の極端な人手不足と人材不足のため、日々流れ作業のように介護や支援がおこなわれているのが実情です。私たちが良心的な施設や事業所に出会うことが出来なかったとしても、自分で自分の自律と尊厳を如何にして守ることができるのかという問いが、この度のお話の通奏低音になっています。

2、正岡子規の「平気で生きること」の意味

 安政時代から昭和まで生きた、政治家の後藤新平の言葉を白板に書きます。「人のお世話にならぬよう。人のお世話をするよう。そして報いを求めぬよう。」という言葉です。これは、後藤新平が創立した学校の講堂の扁額に墨書されていたものだそうです。人間の理想の姿であり、間違っていない。そして、庶民倫理としても我々には納得のゆくものです。
 しかし、「人のお世話にならぬよう」が一行目に出てくる。そのように言っても、人間は生きている以上、四苦の状態ですから、誰かに依存してしか生きていけないわけです。世話をされる、自分はダメな人間であると考えるのは、元気な時はいいけれど、人生の半分は当てはまらないだろうと思うのです。
 中村元先生の『仏陀最後の旅(涅槃経)』に有名な言葉があります。イエス様と全然違いますね。仏陀は老いること、死ぬことそのものを避けることができたわけではなかった。最後の旅として、自分の故郷に向かって歩んでいる時、小高い丘の上から、「バーシャリーは美しい。人のいのちは甘美なものだ」とおっしゃった。この言葉はパーリー語のお経には出てこないが、サンスクリット語にでてくるということです。お釈迦様は、死ぬ前に息も絶え絶えになって、町を見下ろしながら、最後の最後に人間の住む世界を肯定し、人の命そのものは甘美なものだと言われた。お釈迦様が、世界と人間をかくも麗しく受け止められたことは、私にはものすごい憧れです。私もそう言って、死にたいと思う。人の世話になって死んでいかなければならないし、多分100%納得して死んでいくことはできないと思っています。でも、理想としては、お釈迦様のように最後の最後に自分が生まれてきた世界は美しいものであって、そして、生まれてきたこのいのちは素晴らしいものだと思って死んでいきたいと思います。ただ、私にとって、単純に世界は美しい、人のいのちは甘美なものだと言われても、まだ抽象的でわかりにくい。
 そこで明治の俳人である正岡子規についてお話をします。子規は肺結核で脊髄カリエスを患い、寝たきりの中で俳句と短歌の改革をした方です。今回、子規の話をしますのは、私の恩師末木剛博先生との思い出があるからです。
 二十代の頃、精神的に苦悩し、悩んだ時がありました。どうしても元気が出なくて、引きこもりになりがちでした。その時に末木先生にお手紙を書きました。先生から毛筆の返事をいただいたのですが、その中に「君は、もっと正岡子規のような生き方ができなければいけない」と墨書されてあったのです。それ以来、末木先生と子規は私の心の支えです。
 ここに、正岡子規の病床での一文を書いてみます。

ガラス玉に金魚を入れて 机の上に置いてある
  余は痛みをこらえながら 病床からつくづくとみている
  痛いことは痛いが 綺麗なことも 綺麗じゃ

寝返りするにも、天井から紐をつるして、それを持ってやっと寝返ることができた子規。この子規に私が感動するのは、普通の人ならば、痛い、痛いで終わってしまうのに、彼は痛いながらも、綺麗なものは綺麗だと感激しているところなのです。まさしく子規は、四苦の苦しみの中にあっても、世界の中にある尊さとか、素晴らしさに心が向いているのです。
 もう一つ子規の有名な文章を書きます。高校教師の妻から教科書に載っているといわれました。
余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事は、如何なる場合にも平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合も平気で生きている事であった。
子規は寝たきりで、排泄も妹の世話になって、いつ死ぬかわからない日々でした。しかし、いつでも平気で生きることが大切だと思ったということですね。ここでの問題は「平気」という言葉なのですけど、これは前の「金魚」ですよ。体に痛みが走る。自分の生存が他人の世話にすべて依存して生きていかなければいけない。それでも、この世界に生きているということに対し、痛みは痛みとしてやむをえなくとも、それでもやはり、美しいものは美しいと思える気持ちは持っているということが「平気で生きる」ということだと思います。
 ここで一番考えてしまいますのは、子規は俳句、短歌の創作や研究、そして、夏目漱石をはじめとするよい仲間に恵まれたからこそ、こういう生き方ができたという点ですね。私は、子規のようにはどうにもできそうにないので、深刻な問題なのです。

3、お念仏・・・時・処・位にかかわらず阿弥陀様に依存できる。

 四苦の状態に、お念仏はどういうアプローチでかかわっていけるのか、ということですが、結構難しいですね。先に福祉現場の例をいろいろお話させていただきましたが、「誰からも必要とされていない」「何のために生きているのかわからない」と嘆く方に、「平気で生きましょう」とはなかなか言えない。そんなことを言える人は、よっぽどすごい人ですよね。
 しかし、ここではそうした状態の他者に対してどう関わるかは抜きにして、他ならぬ自分自身にとって、世界は美しく、自分のいのちは甘美であると思えるように、どうしたらなれるのかということが、先ずは大切だと思います。
 お念仏は、時・処・位にかかわらず、どんな時でも、どんな所でも、どんな境遇でもお念仏はできます。身体のバランスをとる体幹がなくなり、自分の体の姿勢が全然保てなくなった難病の方でも、こころの中でお念仏を称えることができます。すなわち、人生のどんな時でも、どんな処でも、どんな境遇でもお念仏はできるのですから、これを指してお念仏は「易行」と言われるのだと思います。こんな行は、世の中の他の宗教ではないですね。本当にありがたいことだと思います。
 阿弥陀様には、いろいろな解釈ができるかもしれませんが、我々の生存を可能にする存在、絶対にして他なる存在であることは間違いないと思います。そして、全体であり、社会を成り立たせるものであり、宇宙全体の運行であり、それらすべての全体の表象が阿弥陀様なのです。よって、私達は絶対的に阿弥陀様に依存して生きているわけです。そして、この依存が私たちの自立を可能にするのです。
 自律的な意味では、自分のいのちは甘美で美しいものであると思いたいし、他律的な意味では世界というものは美しいと思いたい。これは、他律と自律が相互補完構造を持っていることを意味しており、この相互補完構造を可能にするのがお念仏に他なりません。お念仏をすることによって、まず阿弥陀様にすっかり頼る、本来、人間は他に頼って生きているのですから、阿弥陀様にすっかり頼る。でも、すっかり頼るということが、即ち自分自身のいのちの甘美さというものを目覚めさせ、自覚させ、つまり自分の自律を可能にするというように思います。
 今、ヘンな話をしていると思われるかもしれませんが、これは、礼拝儀の最後に掲載されている、聖者のお慈悲のたよりのことなのですね。「・・・専らにしてまた専らなる時は、あなたの心は、みだの御慈悲の面にうつり、御慈悲の面はあなたの心にうつり、而するとそれがだんだんと深く入るに随いて、あなたのこころはなくなりて、唯のこる処は、御慈悲の如来さまばかりと成り候」とあります。つまり、難病や認知症に私がなって、周りの人がまともに相手にしてくれなくなったとします。それでも、自分の生きがいを知りたい、生きる意味や意義を知りたいと思います。その時に、お念仏を一生懸命させていただき、阿弥陀様を念ずることによって他に依存しなければならないことが、恥ずかしいことでも、不本意なことでもなくなってくる。人間は本来尊いものであり、阿弥陀様のお陰で生きていられるということで、阿弥陀様の御慈悲がもし、自分の中にうつってくることができれば、自分自身のいのちを無駄なものだとか、見捨てられても仕方がないものだとは思わないはずです。
 だからこそ、福祉の時代にお念仏する習慣を若いうちから持っておくことは大事なことだと思います。四苦の状態になった時でも自然に心の中で「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」とお称えできていれば、どのような境遇にあっても、自暴自棄になり、自分のことを生きていてもしょうがない、価値のない人間だと思わなくてすむと思います。
 阿弥陀様の面が自分の心にうつり、自分の心が阿弥陀様にうつって最終的に、ただただ、阿弥陀様の姿になるというのは、易行道の念仏というものにこそ力があるような気がしてならないですね。
 最後の最後、人間的にも最も苦しい段階で、それでも、生きていることの意味を自分で知りたいと思うならば、お念仏をさせていただくことが、極端な言い方になるかもしれませんが、人間のあり方に添っているような気がします。

同唱十念

念仏と法話の会

花輪 智之

◇日時:10月20日(日)
◇会場:光明園
◇講話:近藤伸介氏
◇参加者:18名

先月に続き、10月12日に関東甲信越等を襲った大型台風は各地に多くの被害をもたらしました。そんな中、多数のメンバーが参集し、お念仏、晨朝の礼拝および聖歌をお称えいたしました。また、近藤伸介講師から「不登校と9月1日問題」と「唯識と光明主義」について講義をいただきました。

1.不登校と9月1日問題

 中学生の不登校・隠れ不登校は合計約44万人(全体の8人に1人)と推計されている。調査によると、「不安など情緒的混乱」が最大の契機であり、「家庭の貧困」にも相関することが明らかになっている。
 また、近年、夏休み明けでの不登校が「9月1日問題」として認識されており、自殺に至ってしまうケースも増えている。2学期開始直前での鎌倉市中央図書館や上野動物園のTwitterは、登校に負担を感じている生徒に居場所があることを訴える呼びかけとして大きな反響を呼んだ。また、不登校を考える講演での女優樹木希林の次の言葉も不安を抱える人の心に寄り添ってくれるであろう。
 「9月1日がイヤだなっと思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。・・・私みたいに歳をとれば、がんとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。無理していま死ななくてもいいじゃない。だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。」

2.唯識と光明主義

○唯識と『無辺光』
『無辺光』のP52~P54の阿頼耶識に関する記述では、私たちが外界を見るとき、他者と共通して認識するもの(共変)と、共通せずに認識するもの(不共変)との二つがあること、一切の生物は、それぞれの業の違いによって規定された身心の性格によって感受性も異なり、認識もまた同じでないこと(業識所感)や『唯識二十論』に出てくる一水四見の説等を説明している。上記のように、弁栄上人は唯識を深く理解していただけではなく、それを自身の思想として昇華している。今後『無辺光』の記述をたどりながら、「弁栄唯識」とも呼ぶべき思想を明らかにしていく。
○『無辺光』を読むことの意味
数学者の岡潔は座右の書として『無辺光』を挙げ、それを「一切のものに説明を与える」唯一の本であり、「文化の奇蹟」とまで最大の賛辞を贈っている。『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』という娘たちに向けた手記を残し、わずか31歳で亡くなった医師井村和清は、娘に読んでもらいたい本の一冊として『無辺光』をあげており、自分が死んだ後、棺の中に『無辺光』を入れるよう遺言した。両者に深い感銘を与えたように、『無辺光』は、それを読み解いた者の心を、限りない光で照らしてくれるのであろう。これから深遠な『無辺光』の森をゆっくりと一歩ずつ歩み、アミダ如来の無限なる光に近づいていきたい。

弁栄聖者百回忌報恩念仏会 第十一回光明園別時念仏会(光明園主催・光明会関東支部後援)

佐藤 蓮洋

◇日 時:11月16日(土)午前10時~17日(日)午後4時
◇会 場:光明園
◇導 師:大南龍昇園主
◇参加者:16日32名 17日31名

 光明園の庭で収穫された柿とゆずをお供えし、今年は弁栄聖者百回忌の記念別時となりました。
 開講式では、大南園主から「今年は、仙台、静岡、名古屋、大阪、京都、奈良、三重、久留米そして関東の方、2日間にわたり延べ63名の方々がご参加いただく予定です。この弁栄聖者百回忌の念仏会につきましては、今年の5月頃に役員会で協議し、三島先生と藤堂先生に講師をお願いすることにいたしました。大変お忙しい中、ご快諾をいただき、心より感謝いたします。参加された方々が、お念仏とご講義により、この二日間のお別時を有意義な時間として過ごしていただきたいと思います」とのご挨拶がありました。
 初日は、お念仏、講義(三島講師)、聖歌、ご回向そして二日目は十二光礼拝、お念仏、講義(藤堂講師)、聖歌、ご回向を行い、閉講式後の茶話会では、参加者お一人おひとりに自己紹介をいただきました。熱のこもったお念仏、熱心な聴講、休憩時間での団らん等、それぞれの方が思い思いの時を過ごされたようです。
 閉講式のご挨拶では、伊藤支部長は「一人ひとりのお名前は申し上げませんが、維那、大木魚、司会進行、それに食事のお世話等、役員をはじめ、多くの方のご協力をいただき、お礼申し上げます。三昧仏様の前で、心をこめてお念仏する導師である大南園主の後ろ姿を励みに二日間を過ごしました。私にとっても、大変心に残るお別時になりました。また、来年も皆様とご一緒にお念仏をさせていただきたいと思います。」と結ばれました。
 なお、三島講師、藤堂講師のご講義につきましては、花輪さんと佐久間さんにおまとめいただきました。時間的制約のある中で、簡潔・的確におまとめいただきましたことに感謝いたします。
 以下に、講義の要約と所感を記載いたします。

講義要約

◇講師:三島健稔氏 
◇講題:「辨榮聖者の願いに想う」
 如来の語義は荻原博士の論文に明らか。存在や性質は一定の行竟に達しないと不明。
 原始仏教は「義に依って語に依らざる」特徴がある。此に拠って大乗経典が生まれ、稱我名号が生まれたのであろう。
 寺院消滅、宗教消滅の世相と否定道、汎神教、超在一神的汎神教の参究が望まれる。
 百回忌を迎え、報身阿弥陀仏の眞實説が説かれるのを待っている。三昧發得の高僧、碩学の導きを切に願うものである。
◇講師:藤堂俊英氏
◇講題:「弁栄聖者 道詠集」より
はじめに ―仏教あるいは古代日本における歌による教導感化―
1.うた・こころ・ひと
2.「備え」をめぐる歌(辨栄上人の世界観) ―育みの世界に住まう者へ―
3.「命」をめぐる歌 ―命に「おおせ」を見出す―
4.み「名」をよぶ「声」の歌 ―声に乗せられた言葉が開きつなぐ世界―
5.身心を護る〈衣〉をめぐる歌
6.身心を養う〈糧〉〈食〉をめぐる歌
7.住みかをめぐる歌 ―落ち着くこととしての住む・済む・澄む―
8.信仰の種をめぐる歌 ―心田の開発―
9.聖経の友
終わり ―忘れものはないのか―〈レジュメより〉

講義所感〈花輪 智之〉

 五年前から毎年光明園のお別時に参加させていただいておりますが、今年は弁栄聖者百回忌報恩の念仏会という事もあり、多くの参加者の方々とともに念仏に精進し、聖歌をお唱えすることができ、格別なものがありました。あらためまして、素晴らしい念仏会をご準備された関係者の方々に感謝の念を申し上げたいと思います。
 ここでは、三島、藤堂両講師のご講義に浴し心に感じたものを私見に基づいて述べさせていただきたいと思います。

1.遮情門と表徳門
 三島講師による「否定道と機教相応」の講義では、否定道とは、慢心しないための道理であり、機教相応とは、弁栄聖者の御教えには人それぞれに応病与薬、分相応のお導きがあったこと、そして、その両者が相まって一人ひとりの無限向上の道が開かれ、大ミオヤの聖意が身口意により体現されていくことをご教授いただきました。
 仏教には、煩悩や迷いを払う遮情門(始覚上転、従因向果)と積極的に真実を表明し実現する表徳門(本覚下転、従果向因)の二面で捉える観点がありますが、否定道とは、遮情門に相当し、一人ひとりの機教相応を在らしめる根源が表徳門に相当するように思いました。その表徳門は、一切衆生をして絶対的根源的な差別内容たる仏作仏行を成就させる如来自内証、常恒不断の活動なのでしょう。
 また、三島講師から念仏の要となる仏身として超在一神的汎神教の本有無作の報身(大ミオヤ)の重要性についてご教授いただきましたが、その大ミオヤの十二光明の根底にも、遮情門と表徳門があり、遮情門が焔王光、表徳門が無対光に相当するのではないかと考えます。如来無対光の法然(絶対理性)隨縁(絶対感性)が円満に調和した能動的展開による積極的なお育ての障りを取り除くのが焔王光の消極的なお育てと位置づけられるでしょう。
 遮情門としての焔王光は、消極的なお育てとは言え、それ自体の根底にも表徳門があり、業障深き私たちといつも離れず、無明の慚愧を無対の歓喜に繋げるお育てとして重要なお光明だと考えます。そのお育ては、三身四智の仏眼を開き、無余即無住処涅槃の境界で大ミオヤと実在的に合一するまで続くのでしょう。また、焔王光の焔は、穢垢と障難を燃やし尽くす焔でありながら、仰信を貫く「愛の生ける焔」(十字架の聖ヨハネ)のようにも思えるのです。
 表徳門として、無対光の根源的積極的な展開を、継ぎ足す言葉が不要なほど、戒浄上人が次のようにお説きになっておられます。
 「絶対自身で因果のない報身仏の無対光の絶対無規定円成実性の核心、即ち絶対無規定円成実性の体相用の全徳が完全に顕現し活動しておる中枢が、三十七道品で示されるあらゆる修行方法と各過程で実現しなければならぬ副次的目的との全般を統一し規定しておる最高最深の統一態である」
 表現は違えども、河波先生も「十二光明の全体を挙げて無対光の何者でもない」とお説きになっておられます。また、「超在一神的汎神教が無対そのものだ」とも。
2.大ミオヤの眼差し
 三島講師から原始仏教の六随念から般舟三昧、善導大師、法然上人を経て弁栄聖者に繋がる念仏の系譜についてご教授いただきました。
 河波先生は、エックハルトの「私が神を見る眼は、神が私を見ているその同じ眼である」の言葉とともにクザーヌスの見神論『神を観ることについて』の「神を観る」には「神が観る」という意味もあるとお説きなされましたが、そのクザーヌスは「主よ、あなたの眼差しはあなたのみ顔です」と語っています。
 また、河波先生は、礼拝儀の『聖者より大谷仙界上人に賜わりしお慈悲のたより』とともに択法覚支を大切にされながら、「念仏しなさい」とご指導なされました。その念仏は、聖容に心を注ぐことと不二一体であったように思います。大ミオヤの聖容を憶い、聖容全体で大ミオヤの眼差しを実感する念仏。それが、弁栄聖者、木叉上人、河波先生の系譜で私たちに引き継がれた念仏ではないかと思うのです。
 妙好人浅原才一は、「こころにあたる、弥陀の名号、なむあみだぶつ」という歌を残しましたが、それを光明主義的に味わえば、その「こころ」は、如来無対の全一の中心が顕わになる一人ひとりのこころの中心点(霊性)であり、あたる「弥陀の名号」の核心に大ミオヤの眼差し(霊応)があり、「なむあみだぶつ」で聖容を憶う念々が作仏度生、無上大道の歩みとなると言えるでしょうか。
 聖容を憶う念仏の奥底に、この身に即し、光明摂化の深まりに応じた無上菩提の心相・真相・深相を開示・開展する大ミオヤの表徳の眼差しがあるように思うのです。その表徳の眼差しは、衆生の身に霊応身として宿り、三身四智の仏眼の実現と、真応(みこころ)と円満に合一した全分度生と無作の活動へ導くのでしょう。大ミオヤの絶対無規定円実成性の核心たる報身如来蔵性の現臨があるところ、そこに表徳の眼差しがあるように思うのです。
 今回のお別時を通じて、念仏の行と不二一体の安心が大切だと認識させていただきました。その安心を活きたものにするのが、解信を包み込み、証信に至らしめる仰信の道なのでしょう。三島講師から光明主義の入り口でありながら、深奥に通じるご遺稿として、『人生の帰趣』とともに『光明の生活』をお薦めいただきましたが、あらためて、弁栄聖者の願いと木叉上人の意向に想いを馳せながら、河波先生の言葉「歓喜光、不断光が大切だ」を胸に、『光明の生活』を心読したいと思います。
 最後に藤堂講師から驚嘆すべき学識によりご紹介いただいた道詠集の珠玉のお歌を割愛させていただいたことをお詫び申し上げます。ご紹介いただいたお歌は、「大ミオヤの中で、大ミオヤと共に、大ミオヤのいのちを生きる」光明生活の糧にさせていただきたいと思います。
 「如来の大我に帰命せば 神秘融合最妙に
 恩寵の中に安住す」(道詠集P426歓喜光より)  合掌

講義所感〈佐久間 郁明〉

 光明園での弁栄聖者百回忌別時において、光明園初代園主田中木叉上人とご縁の深い三島健稔、藤堂俊英両講師からご講義を拝聴しました。
 初日の三島講師の講題は、「辨榮聖者の願いに想う―否定道と機教相応」でした。ご自身の立場を「数理科学の末席を汚す者に過ぎず仏教学の専門家ではない」と先ず断られました。「仏教の専門家」に対する三島講師の敬意を感じました。弁栄聖者の御遺稿集を再版してこられた三島講師が強調され記憶に残っている言葉の一つが、「仏教は、解境ではなく行境である」でした。近著、『弁栄聖者光明主義玄談全四巻笹本戒浄上人述 泉虎一記』(光明主義文献刊行会平澤伸一発行)が刊行されましたが、三島講師が、泉氏の七覚支「択法覚支」の解釈にいたく感銘を受けておられた姿とともに記憶に鮮明に残っています。
 「辨榮聖者の願いに想う―否定道」の「否定道」とは、ギリシャ哲学由来のそれではないと前置きのうえ説明された中で、姉崎正治教授が「阿含経の法蔵に現身仏陀を見る」と記されていること、山口益教授の「仏教の特色の一つは、・・・義に依って語に依らざる」とのご指摘、仏典翻訳家大竹晋氏が、諸経典等の電子データを駆使された『大乗起信論成立問題の研究』によって、千五百年来の未解決の難題を解決されたと評価を受けているようであるとのお話が特に印象に残りました。ご講義を拝聴しながら考えましたのは、姉崎教授は経典を文字で書かれた単なる言葉と受け取るのではなくそこに現身の仏陀を感じ取られていること、山口教授の言葉は仏教の特徴は文言そのものよりも、その文言に込められている内容、中身こそ大切であると解釈できること。以上のことは、「大乗非仏説」、つまり、原始仏教と大乗仏教との関係を考える際に大切な視点を与えてくださいます。ただし、ここで忘れてはならないのは、「仏教は、解境ではなく行境である」ということ。弁栄聖者は終生念仏三昧を修せられました。聖者は筑波山上での三昧発得の後に一切経を読了されたのであってその順序が逆ではなかった点は心に留めておきたいと思います。また、大竹氏のお話を拝聴しながら、現代におけるIT技術の有効活用法について、現在光明会でも金田昭教師を中心に精力的に推進されている弁栄聖者関連の書籍・資料等の電子化、その最新の成果、金田昭教編集『弁栄上人百回忌記念墨跡仏画集』(以下、『仏画集』と表記)を思い起こしました。「否定道」とは、弁栄聖者の光明主義の位置付けとして、「非連続の連続」・「伝統即創造、創造即伝統」として、光明園前園主河波定昌先生がかつて仰っていたことと相通じるものがあると感じました。
 翌日の藤堂俊英講師の講題は、「『辨榮聖者道詠集』より」でした。ご道詠に秘められた弁栄聖者の思いを九種類に分類され、学問的に緻密に、大変ご丁寧に講義されました。浅学の身には藤堂講師のご講義のその含蓄が十分には汲み取れず、恥を忍びつつ、所感をまじえながらご報告させていただきます。
 藤堂俊章上人を父に、恭俊上人を叔父に、その恭俊上人の養父は福田行誡上人ご遷化の知恩院山内信重院の住職で京都光明会の中心的役割を果たされた藤堂祐範上人、養母は庫子夫人という光明会とも大変ご縁が深く(前述の『仏画集』411頁及び『行誡と弁栄展』図録60頁参照)、また、『宗祖の皮髄』、『人生の帰趣』の注記を担当されたのが仏教大学名誉教授の藤堂俊英講師。話される口調、雰囲気がとても印象深く、幼稚園の園長もされているとのこと。納得です。
 最初に、鈴木大拙氏の「自然は自らを知らしめんがために人間をつくり、種々の器官を人間に与えた」との言葉をうかがい、人間は救済上神を必要とする、同時にまた、神も御自らの顕現上人間を必要とされているのではないか、との想いが頭を過ぎりました。藤堂講師の言葉を巡る雰囲気には、どこか、昆虫に自然の神秘を発見する喜びを見出したファ―ブルと通底するものを感じました。藤堂講師にとって言葉とは、単なる記号ではなく、自然が自らの神秘を開示する啓示でもあり、言葉と身体感覚をもって交わっておられるご様子がとても印象深く記憶に残りました。
 弁栄聖者は『宗祖の皮髄』で、法然上人のご道詠に着目されましたが、折口信夫や唐木順三両氏も歌における「感染教育」の働きを指摘しており、「経典の中にも歌を通して教えを伝えるものが伝統的にある」と藤堂講師はご教示されました。また、藤堂講師の語源に対するご関心の強さと洞察もとても示唆深くご教示に富んでいました。良忠上人の「念は聲を勧めて、聲は念を起こして、常に佛を忘れず。」との言葉、「「耳」には「芽」という意味もある(『諸橋漢和大辞典』)。」また、「長広舌(『阿弥陀経』)」の「舌」。そのサンスクリット語には、「舌」と「言葉」の意味があり、ネパール留学生に確認したところ現代でも「言葉」の意味があるとの着眼点等々、枚挙にいとまがありません。ただまことに残念なことに、テキスト16頁の内、およそ半分程までご講義された時点で時間がきてしまいました。話されるご予定であった「『宗祖の皮髄』の「最勝の法―名号は聖種子の故に」」における「名体不離の名号」、「聖種子」、「佛性」に関しても、藤堂講師のご解説も是非うかがいたく思いました。次回を心待ちにしております。
 お別時の最後に、平成六年に、藤堂俊英講師のご尊父藤堂俊章上人が編集され、吉松喜久造氏のご喜捨によって発行された初版を元に、平成30年に藤堂講師が再校正され、善光寺開山弁栄上人百回忌記念として、松戸善光寺から出版された『辨栄上人御法語』の「み教え」、「お便り」の二冊、『三回忌・追悼記念文集光明園・園主河波定昌上人のおもいで』の三冊が施本として別時参加者に施されました。なお、九州久留米大本山善導寺第六十五世藤堂俊章上人は晩年、上人宿願の『念仏三昧の世界―忍澂上人著別時念仏三昧法諺註―』を編集され、浄土宗のお寺に配布されたとうかがっています。現在の若手浄土宗僧侶主催の「為先会」に俊章上人のご遺志が引き継がれているように思われます。
 北は東北の仙台から南は九州の久留米まで、全国から参加された今回の弁栄聖者百回忌記念別時。貴重なご縁もいただきました。遠路遥々関西からお越しいただいたお二人の講師、今回の別時を世話して下さった方々、また別時参加者とのご縁にも深謝。「時時別時の念仏を修して心をも身をも励まし調え進むべきなり」(『七箇条の起請文』)、法然上人のご教示の深さを改めてあじわいつつ、家路につきました。                       合掌