関東支部 平成31年2月

一行三昧会

鎌尾 光栄

◇日 時:12月2日(日)
◇会 場:光明園
◇講 話:佐々木有一師
◇参加者:8名

 午前は弁栄聖者九十九回忌報恩念仏会があり、大南園主によるご回向がありました。来年(平成三十一年)の百回忌に向けて気持ちが引き締まりました。
 午後は佐々木講師の講話がありました。

〈ご講話〉光明主義の七不思議② 

第三の不思議 遇斯光・お救いのことだが、親譲りの貯金通帳
 如来の光明に照らされて、衆生は如来に救われます。貴重な預金通帳をいただくイメージですが、この預金は自分が貯めこんだものではありません。仏力がはたらいている、つまり親譲りの預金というところが大切です。
 念仏をして斯の光に遇いますと「三垢消滅し身意柔軟に歓喜踊躍して善心生ぜん」(『大経・如来光明歎徳章』)、となります。清浄(六根清淨)、歓喜(歓喜踊躍)、智慧(身意柔軟)、不断(善心・菩提心)の四つの光明のお働きを光化の心相といいますが、しかし三垢消滅には炎王光のお働きが欠かせないと思います。
 肉体が生きている現生、または「有余」の身で「霊国をここに格れかし」と願う立場であるところが大切です。仏眼を開くとここが極楽ということがわかるのです。浄土教では普通「捨此往彼」、こちらから向こうへ、とされますが方向が反対であることに注意したいと思います。
 無対光は「本覚の宮に入りぬれば 絶対円満へだてなく 無上覚王の宝座には 威神の光まどかなり」(『礼拝儀))のお歌もあり臨終来迎のお働きがあるのではないでしょうか。河波上人は、まだ死を迎えていない、未死の内に光に包まれ「障子を開けて隣の部屋へ」いくのが臨終です、とご指導下さいました。
第四の不思議 念仏はお救いを引き出すハンコの役割・・起行
 お念仏は摂取不捨であり「念声是一」です。憶念と称名は一体になるということ、また、大切なことは「生けらば念仏の功つもり」でありまして、自力で「功を積む」思いでするものではありません。
 仏さまを人格的存在として仰ぐということが有相ということで、如来様の仏身を目の当りにしている、その如来の聖容をお慕い申しお遇いしたいと念ずる思いが起行の用心です。
 聖者のお筆になる有相の三昧仏を報身の如来と仰いで一心に念仏をいたします。そうすると「あなたの心はみだの御慈悲の面にうつり、御慈悲の面はあなたの心にうつり」、そしてやがて「あなたのこころはなくなりて唯のこる処は御慈悲の如来さまばかりと成り候」となり空が開けてまいります。そして空の境地に入って、阿弥陀如来の万徳を振り向けていただく回向という仕組みが働きだすことになります。法然上人は「名号は是れ万徳の帰する所也」と申されました。万徳とは内証の功徳と、外用の功徳であり弥陀の名号の中に包含されていると明かされています。弁栄聖者はこれを十二光で仰がれて、七覚支や啓示という教理を再発見され、十二光の中に念仏のあらゆる功徳が実現していくと領解されたのであります。
第五の不思議 光明主義は万機普益。如来の見不見にかかわらず。
 往生とは状態の変化という意味であり、まずは「聖き心によみがえる」ことであります。さらには「念仏三心」の第三、「至心に欲望す」に願う如く「真善美の霊国に生まれて聖の世嗣とならんこと」を願い、同時に「一切の衆生と共に安寧を得ん」との菩薩道にいそしむことを願っていくのであります。
 見仏について弁栄聖者は次のようにも申されます。「実には仏は見える見えざるにかかわらず、如来常に行者の真正面に在ますとの信念が最大事にて候・・・・見不見にかかわらず、われ如来とともに在りとの確乎たる信念こそ、宗教の第一義にて候。」と。ソロモンの戦場の過酷な体験の中で、念仏で空を悟られた荻野円戒上人は、『ひかり』誌に弁栄聖者が「今、現にここにましますと、真正面に如来様まします本尊の確立ができたのは一種の見仏である」と仰せられたと述懐しておられます。
 見不見にかかわらず、念仏三昧をもって光明に摂取され、光明生活の中で暮らすことを理想として、すべてを摂取する大ミオヤの慈光に接することが願わしい、これが光明主義である、とされたのであります。

第13回関東支部教学布教研修会

光明園 佐藤 蓮洋

◇日 時:12月9日(日)
◇会 場:光明園
◇講 話:近藤伸介師
◇参加者:15名

 寒さも厳しくなり始めた12月9日(日)に関東支部教学布教研修会(関東支部主催、光明園後援)が開催されました。
 今年は、近藤伸介師を講師にお招きし、午前・午後の2コマを「日本的霊性から普遍的霊性へ」というテーマでお話しいただきました。
 開会式では、伊藤支部長より昨年の本部主催・関東支部共催・光明園共催の研修会から、関東支部主催に変更になった事情と岩波文庫として発行された『人生の帰趣』において霊性が中心であり、今回のテーマはまさにそれにふさわしいことが強調されました。また、次に挨拶された大南園主からは、同じく『人生の帰趣』の中から、「霊性とは絶対無限の大ミオヤに接触する機関である」と、霊性の定義が紹介され、今回のテーマとの関係をお話しいただきました。
 ご講話の後の質疑応答では、専門的な質問から感想まで幅広い意見交換がなされ、茶話会でもお話が尽きませんでした。
 なお、ご講話の内容を近藤氏自身にまとめていただきましたので、ご紹介をいたします。

日本的霊性から普遍的霊性へ《要約》

 講話のテーマは「日本的霊性から普遍的霊性へ」で、光明主義の核心である「霊性」について、午前と午後の2回に分けてお話ししました。その大まかな内容は次の通りです。

第一部 鈴木大拙の語る霊性
 午前の部は「鈴木大拙の語る霊性」と題し、大拙の『日本的霊性』(1944)を取り上げ、「霊性とは何か」「日本における霊性の目覚めはいかにして生じたのか」ということについて大拙の見解を概観しました。大拙によれば、霊性とは精神の根源をなすものであり、かつ宗教意識の核心をなすものであり、それ故彼は次のように言います。「宗教意識の覚醒は霊性の覚醒であり、それはまた精神それ自体が、その根源において動き始めたということになる」。
 大拙の語る霊性の特徴として、大地との不可分な結びつきというのがあります。「霊性と言うと、いかにも観念的な影の薄い化け物のようなものに考えられるかも知れぬが、これほど大地に深く根を下ろしているものはない、霊性は生命だからである」。そして平安時代には霊性はまだ目覚めておらず、本当の意味での宗教もまだ存在していなかったと大拙は言います。「霊性は大地を根として生きている。萌え出る芽は天を指すが、根は深く深く大地に食い込んでいる。それゆえ平安文化には宗教がない。平安人というは、大地を踏んでいない貴族である」。「〔平安文化の〕物のあわれでは、まだ感情の世界をうろうろしているものと見なければならぬ。そこには霊性の動きが認められぬ。自己というものの源底を尽くしていない」。大拙によれば、平安文化を担った貴族たちは大地に根付いていない人々であり、それ故彼らの中で大地に根差した霊性が目覚めることはなく、日本における霊性の目覚めは、武士たちが主役となった鎌倉時代を待たねばならなかったと言います。「平安時代には、とにかく大地から芽ばえたものはなかった。・・・武家の強さは、大地に根をもっていたというところにある。・・・平安時代に取って代った鎌倉武士には、力もあり、またそのうえに霊の生命もあった。・・・鎌倉時代は、霊の自然・大地の自然が、日本人をしてその本来のものに還らしめたと言ってよい」。このように、大地に根を下ろした鎌倉武士たちによって初めて日本的霊性は目覚めたと大拙は言います。それは日本人が初めて民族レベルで宗教に目覚めたということを意味します。そして霊性が精神の根源をなすものである以上、それは日本人だけのものだけでなく、すべての人類に共通する普遍的なものであるはずです。よって大拙は言います、「日本的霊性には、世界的に生きるべきものを包摂しているのである」。
第二部 普遍的霊性への目覚め
 午後の部は「普遍的霊性への目覚め」と題し、「世界規模での霊性の目覚めはいかにして可能か」というテーマについて考えてみました。
 まず、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロを取り上げ、テロの被害とその後のアメリカの報復の流れを追いながら、世界規模での霊性の目覚めの必要性について確認しました。テロを実行したイスラム教徒たちには、アラーの神に命を捧げるほどの信仰心はあったかもしれませんが、彼らには霊性の目覚めはありませんでした。信仰は時として道を誤りますが、霊性は決して誤ることがありません。信仰は時として対立や争いを生みますが、霊性がもたらすものは常に和解と共存です。なぜなら霊性は信仰よりも深く、万人の心の根底に共有されているからです。9.11のテロは、宗教の名のもとに人類が存亡の危機にさらされる可能性があることを明らかにしました。21世紀の世界に必要なのは、宗教・宗派の壁を越えた、普遍的霊性の目覚めであるはずです。では、どうしたらそれは実現するのでしょうか。
 注目すべきものとして、SNS上で広がりを見せるSBNRという世界的な動きがあります。SBNRとは‘Spiritual but not religious’(霊的であるが宗教的ではない)の略で、いかなる既成の宗教にも属していないが、自らを霊的であると考える人々を意味します。彼らは無宗教ではあるものの、神のような超越的存在を信じていたり、そうした存在とのつながりを感じていたりします。ここで重要なことは「宗教的religious」と「霊的spiritual」という二つの言葉がはっきりと区別されているということです。世界規模で、既成の宗教から離れていく人々は増えつつあるようですが、SBNRの広がりは、特定の宗教に属さなくても信仰を持てることを、あるいは少なくとも霊的でいられることを証明しています。世界規模での霊性の目覚めには、人々が特定の宗教の枠を越えて霊的であることが必要ではないでしょうか。
 このSBNRを体現した人物として神谷美恵子という精神科医であり、作家である方がいました。彼女は特定の宗教に属していたわけではありませんが、医師として患者と関わっていく中で霊性への目覚めがあったと思われます。そのことは彼女が記した言葉の中に垣間見ることができます。「自力による修養や冥想によってもどうしようもない自己というものが、人間の奥底には潜んでいる。・・・もしそうした自己を直視するならば、それをありのまま認め、・・・最終的には「人間を超えるもの」に身をゆだねるほかないのではなかろうか」(『人間をみつめて』)。「小我と大我ということを仏教のほうで言うが、・・・大我とは、万物を「存在させたもの」の手に小我をゆだねるとき、初めて自己の全体像として、真実の「本来的自己」として現れるものだと思う。・・・私たちは特定の宗教にとらわれずに自由に思索していきたい。人類の宗教的遺産を広く踏まえた上で、宗教的思惟もまた歴史とともに進歩していくべきものではなかろうか」(同)。「もしひとが自分で苦しんで生きる道を求め、新しい足場を宗教に発見したとすれば、その発見はそのひとの心の世界を内部から作り変えるに違いない。・・・そのような精神化された宗教、内面的な宗教は必ずしも既成宗教の形態と必然的な関係はなく、むしろ宗教という形をとる以前の心のあり方を意味する」(『生きがいについて』)。こうした彼女の言葉には、宗教や宗派の壁を越えた霊性の目覚めが感じられます。
 また、ヨーロッパやアメリカで積極的に坐禅の普及に努めている三宝禅という教団の活動も注目に値します。彼らは坐禅の実践と見性体験を重視しており、宗教・宗派にとらわれないため、多くのキリスト教徒が参禅しています。そして坐禅の実践を通して、彼らの中で従来のキリスト教観や神の概念が変化していくことが見られます。多くの場合、彼らの中で、神が観念的で遠い存在ではなくなり、今現在も活動し、創造を続ける存在として、より身近に実在性をもって感じられるようになります。
 この三宝禅のように、禅が宗教間の壁を越え、人々の連帯に寄与できるなら、念仏にもできるのではないでしょうか。弁栄上人は「禅は見性成仏。念仏は見仏往生。達するところは同じです。」(『日本の光』)と語っていましたし、また念仏を通して次のような境地に達していました。「わが釈尊は、威神光明最尊第一なる父なる如来を讃歎したまうこと、キリストが天にまします父というに同じ。・・・弥陀とキリストの神(天なる父)とは同体の異名。絶対なる神に別体あることなし」(『無量光寿』)。「耶蘇教も、仏教も違いはありません」(『日本の光』)、「基督は菩薩です」(同)。「弥陀、本来、絶対的真理にして、相対分別の人間の説のために左右せらるるものにあらず。・・・万物のみにあらず、人格の無量光の活眼せる釈尊はいわずもがな、孔子、キリスト、マホメット等の聖賢、ことごとく弥陀の活現に外ならず」(『無量光寿』)。上人にとって、釈尊も孔子もイエス・キリストもマホメットも、みなアミダの化身に他なりません。ここから光明主義があらゆる宗教をその内に包み込む普遍宗教であることが分かります。「もし一人の大ミオヤの御子との自覚ができれば、一切の人類はことごとく真の同胞なりとの信仰が立ちます。ただ一国民のみに限らず、一切の人類はことごとく一人の大ミオヤの子なれば、すべては同胞である」(『無碍光』)。上人は念仏にもまた宗教・宗派の壁を越えて、すべての人類をつなぐ力があることを確信していました。重要なことは、それぞれの立場の違いを認めながら、精神の根底にある霊性の共有を信じ、互いを排斥しないことでしょう。
 もし弁栄上人が生前に予言していた世界規模の宗教革命が実際に起こるとすれば、それは「宗教的目覚めreligious awakening」ではなく、「霊的目覚めspiritual awakening」によらなければならないはずです。個人の意識が特定の宗教内にとどまっている限り、宗教の壁を越えて他者を受け入れることは困難です。しかし人間精神の根底に潜む霊性の目覚めは、どの宗教に属していようと無宗教であろうと、個々の立場の違いをささいなものとし、人々が互いを受け入れ、共存することを可能にします。その時初めて、弁栄上人が予言した新たな宗教革命は実現することになるでしょう。

弁栄聖者印度仏蹟参拝被着「僧伽梨」が光明園に寄贈

志村 念覚

~寄贈者 宮城県石巻市西光寺 樋口隆信上人~

 昨年(平成30年)11月19日(月)東京練馬区の光明園(大南龍昇園主)に宮城県石巻市西光寺 樋口隆信上人と奥様が来園され、弁栄聖者印度仏蹟参拝(明治27年12月15日横浜港出航、同28年3月下旬帰国)のときに被着された麻地九条如法衣(袈裟)である「僧伽梨」を御本尊前に奉納し寄贈されました。この如法衣を包んでいた多当紙には護持されていた名に称名寺(北海道函館市)浄誉海運、隆誡、正語と記されています。
 樋口隆信上人がこの如法衣を持つこととなったのは、東日本大震災の復興のためにと大正大学の一年後輩であった鳥居迪也氏(東京都東久留米市)から寄贈を受けた沢山の衣類の中にあったものですが、その際の手紙によると護持者として記されている正語上人は鳥居氏のご尊父で昭和40年に護念山心光院(島根県大田市)二十五世に就任され平成9年11月に89歳でご遷化されています。弁栄聖者の被着された如法衣がどのような経緯で護持されていったのかは不明ですが、同手紙には「本山布教師として当時の函樽教区他各地を巡錫中に接点があったのではないかと推測しているところです。」と記されています。
 またこの寄贈に至るまでには、樋口上人の従兄妹である藤井薫さん長谷川雅世さん姉妹、藤井薫さんとは東京大学仏教青年会で実施される竹村牧男先生の仏教講座の長年にわたる受講仲間である光明園責任役員の佐々木有一氏、そして東京台東区光照院副住職、社会慈業委員会「ひとさじの会」事務局長の吉水岳彦上人などのご縁が繋がり光明園への寄贈となりました。先には平成29年に樋口上人と従兄妹の藤井、長谷川姉妹、佐々木有一氏のご縁から光明園に聖者の如法衣が寄贈される予定でしたが都合により一旦延期となりました。吉水上人とのご縁はもともと樋口上人と吉水上人のお父様とは昵懇の間柄であったそうですが、東日本大震災の前年の平成22年に吉水上人の主宰する路上生活者の支援をするひとさじの会に樋口隆信上人のご長男の樋口伸生上人が参加されたご縁もありました。平成23年3月11日に発生した東日本大震災後に石巻の中学校の避難所に吉水上人が支援に訪れた際は、被災地の僧侶として信頼を得ている樋口伸生上人の導きでスムーズに避難所の支援活動等ができたそうです。そのご縁があり西光寺で行われる津波遺族の会に吉水上人も参加するようになって、樋口隆信上人とは吉水上人自身も面識を得るようになったそうです。昨年の11月1日に西光寺にて宮城教区第五組合同の別時念仏会が行われた際に隆信上人は西光寺の阿弥陀如来様のご宝前に聖者の如法衣を安置して別時をされたのですが、その際にご法話をされたのが吉水上人だったのです。この不思議なご縁に隆信上人は大変喜ばれて、あらためて光明園に如法衣を寄贈する話が進み、同月19日に光明園に来園されることとなりました。
 遠路のところ光明園までお運びいただき弁栄聖者の如法衣をご奉納いただきました樋口隆信上人と奥様に心から感謝を申し上げ、その経緯をご報告させていただきました。

合掌