光明主義と今を生きる女性 4年ぶりの日本里帰りのあと思うこと

ブラジル アジア食堂・仏教サンガ『ゑん』 石川ゆき絵

 ブラジルに移り住んで早11年。8月に、4年ぶり。日本を離れて2度目の里帰りが叶いました。最初の里帰りの際には、唐沢山のお別時に初参加させていただき、今回の帰省でも2度目の唐沢山別時念仏へ入山させていただきました。
 地球の反対側の南半球、日本からいちばん遠い国であるブラジルに暮らし小さなアジア食堂を家族だけで営んでいる身としては距離的・金銭的・日程的な事情でなかなか里帰りができないのですが、今回の帰省のきっかけとなったのは、昨年急性心筋梗塞で急逝した妹婿の一周忌命日と唐沢山お別時の日程が都合よく近かったことです。突然亡くなった朗らかで温和だった妹婿をお参りしたい、ひとり残された妹に会いたい、という一念の背中をおしてくれたのは、唐沢山別時念仏。如来様から呼んでいただいた里帰りでした。
 唐沢山入山前々日には何かとお世話になっている佐藤蓮洋上人ご在住の光明園を訪ねました。田中木叉上人と河波先生の遺影お位牌にお参り、由緒在る道場でお念仏させていただき、佐藤上人から弁栄聖者百回忌にちなんだ冊子やグッズ、そして岩波版「人生の帰趣」を頂戴いたしました。
 4年ぶりの唐沢山お別時では、お念仏の先輩のかたがたにお会いできてとてもなつかしくうれしかったです。みなさんに支えられて全日程に参加させていただきました。万全の体調でのぞむべきでしたが、ブラジルからの旅路の時点で体調をくずしてしまい、一行三昧が厳しく感じられましたが、同日程で単独別時に臨んでいるブラジルで留守を守る夫を思い、また妹婿と妹へご回向を届けていただきたいと思い、如来様にすがりつく思いでお念仏しました。
 今回お世話人の植西さんが体調不良でいらっしゃらなかったことはとても残念でした。大和さん、村松さんご夫妻をはじめ皆さんがたいへん御尽力をなさっておられましたが、正直、お別時の運営がいよいよ厳しくなっている状態を感じました。一方で、座禅をなさった経験があり岡潔先生の著書から弁栄聖者を知って初参加されたお方があり、お念仏をたいへん喜んでおられたことをとても嬉しく思いました。
 下山して、諏訪湖を離れ故郷福岡に移動し、今回の帰省のもうひとつの目的である妹婿の一周忌にお詣りする為、妹がひとりで暮らす家を訪ねました。
 やせほそって消えてしまいそうな佇まいの妹と対面したときには、彼女が抱えてきた1年分の苦しみをいっぺんに感じて、この1年間なにひとつ彼女の助けにならなかった自分を情けなく感じました。それでもわたしの帰国を妹はこころから喜んでくれ、少ない滞在期間でしたが向き合い話をできた貴重な時間となりました。
 その祥月命日、不思議なこともありました。その日、がりがりにやせた子猫が道にうずくまっており、妹が飼い入れることになったのです。妹からは夫の生前に夫婦で猫を飼うことを相談していたことを知らされました。まるで亡くなった妹婿の計らいのように独り暮らしの妹のもとにやってきた子猫。その日以来妹は独りぼっちではなくなり一人と一匹の家族になったのです。 唐沢山お別時と妹婿の一周忌、ふたつの大きな目的を果たしてブラジルに帰国したあとのわたしは、体調が急降下して数日間起き上がれなくなりました。ようやく起き上がって病院に連れて行ってもらうと肺炎でした。ブラジルの公立病院の特徴として、患者のカルテはその日だけの存在で翌日来院すればまた新たにカルテを作り直さねばなりません。お医者さんも毎日変わりますし、患者のデータも治療の履歴も一切残らないシステムなのです。毎日毎日通院し、レントゲンと血液検査をまず受けてその結果を医師に見せたあと対症療法的に朝から晩まで点滴や吸入をして帰宅。またその繰り返し…を何度も続けました。
 そんなこんなで七転八倒しつつも、なんとか一ヶ月後には日常の生活を営むことができるようになりました。日常作業のひとつである庭の木の枝切りもできるようになったのです。お米もとげない・洗濯物も干せない状態だったのだから、大快復です。
 肺炎で闘病しているあいだ、ブラジルのわが家にも変化がありました。しょっちゅううちに遊びに来ていてその鳴き声から「アオ」と名付けた野良猫が姿を見せなくなったのです。彼は食事をもらいに来ているわけではないようで、数日姿を見せないこともあり、毎日のようにベランダで寝ているときもあり、レストラン営業中にやって来てお客さんに「アオ~アオ~」と話しかけたりしているときもあり、風来坊、という形容がピッタリな野良猫にして、いつのまにかわが家の家族の一員となっていたのでした。
 変わった猫で、寝ているとき以外はつねに「アオ~アオ~」とびっくりするくらいの大声で鳴いています。500m先のうちからふたつめの角からもうその声が聞こえてくるので「ああ、アオがこっちにやってくるな」と解るのです。ここいらへんには凶暴な野犬もいて猫を襲うのだから、あんな大声でアオアオ鳴いて自分の位置を世界中に知らせんでもよかろうに、と、わたしたち家族もそのあまりの脳天気さに呆れていたのですが、ある日スカっと判ったのです。アオくんの「アオ~アオ~」はお念仏なのだ! と。つねに全力でお念仏を称え仏道を歩む姿を教えてくれるかのような野良猫アオの行状。なるほどいつもいつも不動心で道のどまんなかを大声で鳴きながら歩いていく姿は、仏道のどまんなかを正々堂々と歩む念仏者の姿を教えてくれているようではないか、と。
 なので、1週間くらい会ってないなぁ、と思ったときには、わたしの肺炎が早く治るようにブラジルの猫神社でお百度を踏んでいるのだろう、くらいに思っていたのですが、さすがに1週間が2週間になると心配になって、今度はわたしが験を担ぐかのように殺生をしない生活を始めました。とはいっても、蜂やアブや蚊などの虫を殺さない、というだけのことなのですが。足にとまった黄色いアブに血を吸わせながら思います。ああアオくんに会いたいなぁ、と。
 肺炎が治って、すがすがしく解ったことがあります。この闘病ごと、この闘病がおわるまでが、今回の日本帰省だったのだ、と。
 なんて遠く、なんて長い道のりだったのだろう、と、しみじみと深く深く感じます。そして、人はかならず四苦八苦し、やがてこの世界から移ること、そのことを改めて知り、おじけず四苦八苦ごと阿弥陀如来様の世界を識ること、その真理に触れ奉ること、そのことをわたしの「人生の帰趣」に改めて定めました。
 アメリカの作家テリー・ケイ氏の『白い犬とワルツを』は、妻に先立たれた老人のもとにどこからともなく白い犬がやってきて寄り添って暮らすお話ですが、わたしの妹のところには、ちいさな猫がやってきました。『三毛猫とお念仏を』。
 妹婿の死は悲しくつらいことですが、わたしはそれを縁として妹に会いに行き唐沢山お別時に参加することができました。妹のところに猫がやってきて、うちの野良猫はいなくなって・・・ すべては、それごと、まるごと縁。生も老も病も死も出逢いも別離もまるごと縁。体調不良で苦悩したことも丸ごと縁。
 病苦も別離苦も怖くてたまらないけれど、すべては如来様のふところのなかであるといただいて、ブラジルの僻地に自分たちで拵えたちいさな礼拝堂にてお念仏をつづけてまいります。『道のよからんことを祈るよりいかなる道にも耐ええらるる力の加わらんことを願え』と弁栄聖者がお示しいただいたとおりに。

合掌