光明主義と今を生きる女性 「島宇宙化する関係構築について考える」

矢野 美紗子

 社会学者の宮台真司は、同じ価値観を持った者たちだけで場を作ることを「島宇宙化」と定義しました。この「島宇宙化」という関係構築のあり方に興味を持ち、身近な例をもとに考えてみたので、文字に起こす試みに今回取り組んでみたいと思います。
 島宇宙というキーワードは簡単には、「各趣味や嗜好を共有する、同じような価値観をもつグループ」を表現している。SNSが急激に発展した今、自身が関心のあることをネットでたたけば、いくらでも情報は出てくるし、コミュニティや各種イベント、オンラインサロンなど、受け入れてもらえる器は数えられないほどで、溢れかえっている。そういう意味で、自分の生きる指針や価値観は、いくらでも自分自身で「カスタマイズ」できる時代にあると言って良い。
 このような生き方ができるのは極めて現代的で、その要因は情報社会になったこと等、複数あるが、ポストモダン論でいうところの「大きな物語」のようなもの、つまり特定のイデオロギーや生き方の指針、宗教などに社会全体が覆われていないことも影響しているのではないかと考えている。もう少しミクロな視点で言うと、物語とは、教会や地域コミュニティ、慣習、学校(先生の権威)にも置き換えられる。今を生きる人々の多くは、特定の宗教によって生き方の指針を教えてもらうわけでもなく、地域の慣習や儀礼は必ずしも踏襲しないといけないものではなく、学校の先生の権威は絶対的なものではなく、逆に生徒から嫌がらせを受けることがあるような時代なのだ。
 国家とか、権威とか、人生の先輩方の言うことは絶対だとか、そういう「縛り」がない時代はとても自由で開放的で、そして個人的だ。「個人」が誕生してからは、自分なりに小さな物語を構築して生きる(なければならない)時代となった。それはどんどん時代と共にエスカレートしていると考えていて、ある意味で自分の生き方には、選択の自由があると共に、その責任は自分で取らざるを得ない、とも思っている。そこに不安がないか? と言われればあるような気もしている。
 「島宇宙」はこのような時代だからこそ人々に必要とされる。似たようなことを好む人たちで集まると、心地いいし、楽しいし、何よりそこで自分の価値観を否定されることはない。お笑い芸人であり、絵本作家の西野亮廣さんは自身の考えや嗜好を共有する場として、彼自身のオンラインサロンを立ち上げ、一般の会員と共に議論や実験、Webサービスを開発する等、Web上の研究所を立ち上げ勢力的に世の中に発信している。オンラインでなくリアルな繋がりも構築できている点が特徴的で、驚くことに彼は、オンラインサロンメンバーがいる飲食店や美容院をマップ化し、「せっかくなら、同じ価値観を持つメンバーが働いている店に行きたい」というリアルなメンバー同士の繋がりを生み出しているのである。
 私は、このような島宇宙的つながりで個々人の考えや嗜好を共有することは素晴らしいことだと考えていて、生きる指針や自分を形作っていく上で必要で、かつ現代のライフスタイルに則したコミュニケーションのあり方だと思っている。しかしその一方で、さまざまな個人個人の宇宙がそこで完結しきってしまうことは、良くないのではないかとも考えている。具体的には「自分自身で作り上げた宇宙のみ、あるいは自分が属する島宇宙こそが絶対善だ」という思考になってしまうことに私は疑問を覚えるのである。
 島宇宙の中で満足感が高いのは素晴らしいことなのだが、島宇宙の中だけに囚われず、大宇宙の中に存在するひとつの島宇宙なのだということを自覚して初めて、個々がいきいきと輝いてくるのではないだろうか。どうしても自分の島宇宙のみが世界のすべてだと考えていると外に目を向けられなくなる。すると、今まで自分(たち)が築き上げてきた宇宙の構造や価値観に疑問を抱くときがもし来たとするならば、何を基準に、どこに顧みれば良いのだろう。それこそが先ほど私が抱いていた「自身で選び取る生き方の背後にある、その責任は誰でもなく自分で取らざるを得ないことに対しての不安」なのである。もし、そのようなシーンに自分が陥ったとして、顧み、戻ることができ、拠りどころがないということは、一つの壊れた島宇宙が消滅し、私が存在していると思っていたその実体は、何もなくなってしまうのである。
 日常生活の中で、属している島宇宙、自分が築いている小さな小さな世界が、自分が自分である根拠ではないと思った次第である。

合掌