光明主義と今を生きる女性 「大家族」

日記

 『男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり』これは、紀貫之が書いた『土佐日記』の冒頭に出てくる有名な一節である。自分がまだ十代の頃、この船旅の日記がとても気に入り、日記をつけようと思い書き始めた。日記をつけることは何てすばらしいことなのだろうと『アンネの日記』や『アミエルの日記』等々も読んだ。会津の山育ちの自分にとって『土佐日記』は船旅の情景を想像しながら読むのに相応しかった。平安時代の時代背景を頭に描きながら読むことが面白かった。日記の付け方もこれらを真似てみたりした。そんな時代が四、五年間くらい続いただろうか。その後、就職を切っ掛けに途絶えた。今、古い日記を読むとつい苦笑してしまう。現在は手帖に予定を記入するのみ。日記は書かなくなったが、友へは小まめに手紙を書く。そしてすぐに友から返信があることが嬉しい。光明会のこれまでの「法話ノート」と「友からの手紙」は現在も続いている。

お寺での生活

 私が小さい頃、我が家は大家族であり貧しかった。兄弟姉妹が八人で私は末っ子だった。その他にも親戚の子や親を戦争で亡くした子等、まるで家は養護施設か保育園のようだった。もちろん贅沢などできない。今、振り返ってみると、私にとって大勢の家族がいたことは毎日が大変だったが、その反面楽しいことも沢山あった。私の生まれた戦争直後は食糧事情の大変な時だった。お寺の田んぼは農地解放で小作人に渡り、それからは生活が一変していった。それまで耕したこともない田んぼの稲作に家族全員で取り組みながら、畑を作り、牛や、羊、ヤギ、兎、ニワトリ、タヌキ等も飼った。犬、猫を含めて動物の世話等、家族や同居している人達と一緒に世話をした。兄達は毎日ヤギの乳しぼりが日課だ。父は檀家の人に手伝ってもらい雑木林の木を伐り、炭窯で一年分の炭も焼いた。お蔭で雪国ではあったが木材と炭が豊富であったため私達は温かい部屋で過ごすことが出来た。このように私たち家族は皆それぞれ分担して作業をし自給自足のような生活に慣れていった。
 当時、私の毎日の仕事は大きなザルに、にわとりの玉子を取る役目だ。玉子を割らないように、ニワトリ小屋から玉子を運ぶ作業だ。大事な役目のため胸がドキドキ、きゅんきゅんなった。家族の大事な食糧だから大切に扱うよう母から言われていたので緊張した。鳥小屋の玉子産み場を覗いた次の瞬間!
 「あっ! 大きい玉子がある。中の卵の黄身がきっと二個入っているに違いない。やったあ…」と思わず叫んだ。
 ニワトリは全部で二十羽いる。毎日たいてい玉子を二十個産む。玉子の黄身が二個入っていた時は翌日は十九個産むのだ。その毎日が楽しくて仕事というよりも冒険の作業であった気がする。あの頃はいまの子どもの様に贅沢はできなかったがそれなりに楽しかった。そして子供も大切な働き手だったのだ。
 春には蚕を育てた。毎日桑の葉を「蚕さま」に食べさせて糞を取り替えなければならない。私の友も手伝ってくれて「さっちゃん手伝うから早く仕事を終わらせて遊ぼう…」と私を急がす。私達は友達と一所懸命に自分の仕事のノルマを終え、全速力でポプラ並木のある運動場へと走った。

泣いた親牛

 春の或る日、家の牛が子牛を産んだ。自分はまだ低学年であり、生後何ケ月位で子牛が競りにかけられて売られたのか、幼かった自分には定かではない。おそらく二カ月位であったようだ。子牛は高く売れた。だが親牛は子牛が売られていったその夜から一晩中泣き、声もかすれていた。大粒の涙をポロポロと流した。牛小屋に行くと父が牛を撫でながら語りかけていた。
父:申し訳なかった許してくれ!…と何度も呟いていた。
 その夜の夕飯はお餅だった。家族で親牛の大好物である、あんころ餅・きな粉餅・クルミ餅を飼葉と一緒に食べさせた。のどにつかえないように小さくちぎって食べさせると私達の手までぺろぺろと舐めた。翌日から父の提案で兄達は牛を河原に連れて行き身体を洗ったり野原の散歩をさせた。心のリフレッシュを計ったのだ。子牛を売られて親牛が泣いた。この時私は父の涙を生まれて初めて見た。
 今、自分の子供達や孫にこの話をすると、まるでおとぎ話を聞くように目を真ん丸にして聞いている。お家に牛がいたの? 蚕って何? 子供達は、山には虫や蛇がいるから嫌だと言う。昔の話を聞かせることは大変だ。けれど私は娘や息子そして孫達にもどんな時代にどのような生き方をしてきたのかをしっかりと伝えたい。ご先祖様のことやこれまでの繋がり、そして毎日を生きていく生活の中で「南無阿弥陀仏」を称えて生活する大切さを伝えよう。そのことがこれから生きていく子供達への使命だと思う。時代が変わろうとも時代を超えた念仏の実践を伝えていこう。最近の学校教育、親の子供へのふれあい方は決して良いとは言い難い気がする。けれど昔が全部正しいとも言えない。今、昔を振り返るともう少し子供同士で遊ぶ時間があったら幸せだったのにと思うこともある。全面的に昔が良かったとは言えないが現代は人への敬い、尊敬これらが、ないがしろにされている傾向があるのではないか? 

結び

 嘗て、岡潔先生(元奈良女子大学教授・数学者)は『日本のこころ』の著書の中であと六十年もすれば今のままでは日本の教育は滅んでしまう。…と警鐘を鳴らしておられた。今がその時代にさしかかっていると思う。岡先生はとりわけ情緒を養う教育は何より大事に考えられなければない。単に情操教育が大切だとかいったことではなく、きょうの情緒が明日の頭を作るという意味で大切になる。…と指摘されている。今の日本の教育が人間の教育をないがしろにして経済成長ばかりが強調されたとするならば、社会はどう責任を取るのであろうか? 宗教教育を含めて大人達はどう動けばよいのであろうか? と日々、思案にくれているが自分では対策を出すことなど到底できない。しかし、人々が、多少でも力になれる日常を過ごすことが大切なことなのかなとそんなことしか自分には思いつかない。役に立たない歯痒い自分と日々問答している。

合掌