光明主義と今を生きる女性 「行事について思う」

山本 サチ子

夏の行事

◆昨日、気象庁は関東地区の梅雨明け宣言を発表した。私は一日をなるべく無駄な時間を過ごさないようにしたいと考えていた。けれど玄関のドアを開けた瞬間に凄まじい温風が入って来た。これは上手い時間の使い方などと言ってる場合じゃない。身の置きどころを考えてしまうような暑さである。
 真夏がやってきた。この暑さに負けていては光明会の夏の行事に取り組めないと思った。
◆夏の最初の行事として、ここ関東地区では毎年、光明学園相模原高等学校をお借りして親子別時が開催される。子供さんや高校生たちが参加してくださるので活気ある催しとなり、盛り上がりを見せる。ある光明会員の方が、自分は幼少の時に母に連れられて鉢伏山の親子別時に参加しました。と語る人がいた。その他にも小学生や中学生の時代に親に連れられて親子別時に参加したことがあると語る会員がいたのである。こうしたことは私達、運営委員にパワーを与えてくれる。その彼女は聖歌を歌う時、ピアノを弾いて別時をより楽しい催しにしたいと頑張っている。なんて素敵なことなのだろうと思う。やはり親子別時は親子代々に受け継がれていく大切な催しなのだ。このような行事は、なによりも信頼する家族と共に参加し、喜びを経験することが出来る。幼い時の喜びは一生の宝となる。そうして培われた経験がやがて大人になっても自分の心の支えとなる。人生を生きていく土台作りにもなっている。このことは参加した本人たちが言っていることであり嬉しく思う。やはり親子別時は重要な行事である。
◆親子別時は過去には鉢伏山の山荘、そして山梨にある大乗淑徳学園の山中湖の施設をお借りして実施したこともあった。現在では光明学園相模原高等学校を使わせて頂いている。開催地は時代と共に変更されていったが、その根底にある目的は変わらない。これこそ山崎弁栄上人の御教えの実践でもあると考えている。そう思えばこそ、万象繰り上げ皆で声を掛け合い、親子別時に参加し、この行事を盛り上げていくことができるのである。参加者の心を一つにして会を催していくところに意義があるのだと思う。こうした行事では大きな出会いがある。鉢伏山では山本空外上人や藤本浄本上人にもお会いしてお話をする機会を得ることもできた。山本空外上人の話し言葉は東北育ちの私にとって新鮮なものであった。自宅に帰省してそのことばを家族に話して聴かせたものである。
 空外上人は「そうじゃけんにのう、念仏をしてると解らないことが解ってくるんじゃよ」その口調を家族に話して聞かせると両親も兄弟も喜んで聴いてくれたあの日のことが私にとって今でも、とても大切な思い出である。   
お上人様たちとの出会い、説法は何物にも代えられないものだ。いまでもその時の“法話ノート”は、私の本棚に大切に保管されている。

世話人

◆行事を開催するためには、中心になってお世話をして下さるメンバーの方や、そしてその関係者がいる。目に見えない大変さがたくさんあると思う。この大変さを毎年、率先して音頭をとり、行事の運営を引っ張って下さる人達がいる。
 私は正直「よくやってくれる…」と少し他人事のような気持ちで見ている自分の目がある。中心になり動いてくださる方は体ごとぶつかって真剣そのものなのだ。そうしたメンバーを見た時、いつも思う。自分は偉そうに理屈を言っているが、実際に直接携わって動く人は大変なのだ。そう解っていても自分はテキパキと動けない。生まれつきの性格だから仕方がない。テキパキと機敏な動きではないが参加をすることにより参加者数を増やせばよい。自分の本音はこのような甘い考えでいるのだから、あまり役には立たないかも知れない。けれど自分なりに頑張ろうとの考えはある。自分は周りの人達よりできないことがらが多い気がする。そんな時、眼をつむり深呼吸をしてふと想像する。それは山崎弁栄上人が、千葉の手賀沼の畔を、アコーディオンを弾きながら歩く姿、そして、その後ろには子供たちが付いて歩く。そんなのどかな優しい情景が思い浮かぶ。そうすると不思議とテキパキ動くことの苦手な私でも大丈夫。役に立つこともある。そう気持ちを取り直すことができるのだ。まずは“参加することだ”。と自分に言い聞かせる。私には私の役目もある。と信じて参加しよう!。
◆小学生の頃、私は母に、「周りの人の方が自分より、答案を書くのも家庭科の作品の仕上げも早いのだけど、どうすれば早くなれるか」と質問をした。
 母は「早くてもよい結果でなくては駄目だから、焦らずじっくり進めればよい」と話してくれたことがある。以来、私はそれをいいことに、現在でもスローモーションである。世話人の人達をみていると自分はこれではいけないと考え、自分に対しエンジンをかけ直すありさまだ。その素早さを見につけたい。学びはどこにでもある。

結び

 行事は親子別時だけではない。だから考えてへこたれている場合ではないのだ。親子別時の他にも、唐沢山別時、大巌寺別時、リンゴ狩り別時、教学布教研修会、光明園別時、定例の念仏会、など盛り沢山である。一つ一つがみな大切な行事であり、皆で力を合わせ成功させよう!
 今さらなのだが、年齢を重ねてくると、反省することも多々ある。今まで何となく参加していた行事に対する思いが、自分の中で変化してきた。行事の意義とか、心構えなど、これまであまり考えずに参加してきたと思う。しかしここにきてこれまで通りで良いのか考えてしまう。やるからにはそれなりの結果が出せないといけないし、全体の出来栄えなどまで考えてしまう。 
 来年に向けての反省を含め検討事項を考えるべきである。妙にとりとめのないことまで考えてしまう。「ああ、一人じゃ駄目なのだ。やっぱり、みんなの力、みんなの頭脳を借りなければ何もできない。」そう思ったら会員の人達がこれまでより一層、愛おしく感じられた。 
 どうすればよりよい催しにすることが出来るのか、是非、皆さんと話し合い進めていきたい。
 如来様がきっと見守って下さっておられるのだから…。  

合掌