光明主義と今を生きる女性 「法話ノート」

山本 サチ子

〈法話記録〉

◆日々の生活の中で色々の本を読むが、やはり光明主義に関する本に手がいってしまう。学生時代に光明会を知り、それ以来、ずっと山崎弁栄聖者の御教えを人生の目標としてきた。
 一歩でも御教えに近づきたいと思いながらこれまで過ごしてきた。しかし、なかなか怠け者の自分には難しい事ばかりである。最近は少し考えが変わった。もっと肩の力を抜いて初心に戻りたいと願い、あれこれ考えてみた。それには何をすれば良いか? そうだ私にはお上人様達の録音テープの他にこれまで綴ってきた「法話ノート」がある。そう思いこれまでのノートを集めてみた。かなりの数になる。ノートは会所が混ざりメモしてあるものもあれば、内容別に分けたものもある。

  1. 公開講座
  2. 親子別時
  3. 唐沢山別時
  4. 大巌寺別時
  5. 地方寺院での別時
  6. 光明園での法話
  7. 法の集い

 等々に分かれて記録されている。まるで速記のメモの様な書き走りのため、自分の文字を読むのに苦労する箇所もある。読んでいるうちにこれこそ私の宝物のような気持ちがしてきた。出来るだけ書き漏らさないようにと一生懸命書いた記録だ。テープを聴けば済む話ではないかとも思えるが、実はテープは案外、言葉上のことであり、私はお上人様の話を拝聴させて頂いた時、特に印象に残った言葉や板書した事柄を、瞬時に自分の疑問も混ぜてチェックする習慣がある。それを見ることにより、沢山のことが鮮明に思い出される。時にはそれがお上人様のお顔の表情であり、またその時そのことばを聞いた時の感想を書き留めておく。それは別に自分にだけ解る暗号のようなもので、すこぶる簡単なものである。
 しかし今、改めてノートを見ると自分にとって非常に解り易くて、その時の法話が頭にスマートに入るのだ。もっと言えばその時のお上人様の優しい眼差しや自分が感じた思い等まで伝わってくる。深い思いとは、自分の勝手な思い込みだが満更でもない気持ちがする。全部はずれではないと思っている。ノートをめくっていくと、段々と楽しくなって、今は亡きお上人様たちが今、自分と一緒に居られるようで、有り難い気持ちで胸が「キューン」となる。「そうだこのノートを毎日少しずつ読もう。わからない箇所はお上人様たちの出版本で調べよう。」
 そう考えたその日からノートを読むことが楽しくなった。

◆これらのノートを読むと内容が理解できなくてつまずくことが多々ある。特に河波昌先生の場合、もう質問できないのだ。そんな時「先生解らないです」…と思わず独り言を言ってしまう。生前どうして質問をしなかったのか?
 返す返すも無念の極みであり、今更ながら自分の勉強不足に、呆れるばかりである。そんな時、河波昌著『山崎弁栄聖者と光明主義』(ミオヤの光社)や『浄土仏教の思想』(講談社)、『あなたの心はなくなりて』(無二会)、を書棚から取り出して読む。とても詳細で解り易いが、しかし、活字にないところの質問をしたい時がある。今となっては、自分の勉強不足を補うため、ただ勉強するしかない。反省を込めて他のお上人様の著書も読もうと少しずつだが読んでいる。河波先生のお話を初めて聴講させて頂いたその時は難しかったが、何度も聴くうちに理解できるようになってきた。だから他のお上人様の著書も念仏と合わせて読めば会得出来ると思う。…そう考えて取り組んでいる。とにかくあきらめないで継続していきたい。

〈念仏の魅力〉

◆自分の胸の内を他者に語れないことがある。いつの頃からか、そんな時には私は如来様に相談する。いつの間にかそれが習慣となった。普通はこれを「独り言」と言うのかも知れない。如来様からお返事は頂けないが、気持ちが軽くなっていく。それからの念仏が楽しくなる。不思議であり、まさに念仏は魔法である。
嬉しい時、悲しい時、悩んでいる時、いつも念仏に助けられる。何て素晴らしいことなのだろうか! とても元気になる。

◆数か月前のこと、幼馴染みの友人に手紙を書いた。メールでは情緒がないし、自分の本当の気持ちが伝わりづらい。そんな気がして、私は友人に手紙を書いた。しばらくして友人から返事がきた。そこには彼女の率直な感想がしたためられていた。…嬉しかった。
 時々、私は、「如来様や河波先生!」と呼び掛け、独り言を言う。それでも人の声が聴きたくて友人に手紙を書く。小学校、中学、高校と彼女といつも一緒で下校後もたいてい一緒に過ごした。友人は、私の家が自分の家なのか、彼女の家が自分の家なのかが、分からないほど、我が家にせっせとやって来た。親と喧嘩しても、お寺の我が家に来るのだ。早い夕飯を済ませ、勉強道具を持参して私の部屋でさっさと勉強を始めているのだ。
 彼女の父親は「そんなにお寺が良いならお寺の子になれ」…と叱った。
 「そうしてもいいの?」…と、彼女がいったら、父親が、「バカ野郎、話にならない」と、大声で叱った。「……」と、彼女は首をすくめ何も言えなかった。 
 その友人は、現在、「若松英輔先生」の著書を数冊読んでいる。次回の感想が楽しみである。
 私は、念仏の素晴らしさを友人にも知って欲しい。友人は家庭の事情で家を空けられないために私が泊まりに行くこともある。まさに人生の友の有難さを感じている。いつの日か、友人にも山崎弁栄聖者をもっと分かってほしい。その私の思いがある。他者に伝えることは並大抵のことではない。法話ノートと毎日、「にらめっこ」をしながら思案にくれている。これ程の教え、そして念仏の魅力、を他者にどのように伝えていくか、考え、考え、そして働きかけて行こう!

〈結 び〉

 「法話ノート」 は私の人生の指標である。このノートが私の人生の舵を取ってくれる。大切に大切にして行こう! そして実践して行こう! そして今からもう一冊、手帖に書き込もう。「友人と周囲の人々との触れ合いノート」としてこれらをノートに記録する。自分の気持ちの問題だが、これらの触れ合いが日々の私の幸せの一ページなのだから…  

合掌