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発熱の文 23 三昧


 三昧とは物我無二生仏一致の心理なり。光明讃称の時は讃声に神が入って声と心と共に仏となるなり。無量光の声に心も仏心と相応することなり。讃礼の時は即心仏と一致して、無二となることなり。日光を見れば日と心と冥合し、然らば日光もまたみだの光明と観じらる。風の音と融合すれば、松風即浄土宝樹の音と調らべを和するなり。一切の行として仏行ならざるはなし。行住坐臥、着衣喫飯、放尿放屎として菩薩行ならざるはなし。一切所作即ち念仏三昧と成るなり。先以て三昧を学び給え。

現代語訳

三昧とは〔外界の〕物事と私とが別々のものではないという状態、〔さらには、〕私たち衆生と如来さまが一つとなった心境なのです。〔如来さまの〕光明を褒め称えるときは、その讃える声に心が入って、声と心とが共に仏となるのです。無量の光〔を放つ如来さまを呼ぶ〕声によって、〔私たちの〕心も、如来さまの心と相応するのです。〔如来さまを〕讃え礼拝するときは、心と仏とが一致して無二となるのです。日光を見れば、日と心とが融合し、そういった心境にいたれば、日光もまた如来さまの光明と観じられるのです。風の音と融合すれば、松風の音はそのまま即、浄土の宝樹の音と調和して聞こえるのです。すべての行為が如来さまに仕える行為となるのです。歩いているときも、とどまっているときも、坐っているときも、横になっているときも、服を着るときも、食事のときも、トイレのときも、〔いついかなるときも〕菩薩の行為となるのです。すべての所作は、すなわち念仏三昧となるのです。先ずは、三昧の修行をしましょう。

解説

出典

『御慈悲のたより』上巻二十頁、『ひかり』六八九号、(平成二十八年六月号)「新発見光明資料 六」

掲載

機関誌ひかり第721号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」