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発熱の文 16 至心に感謝す


至心に感謝す
大慈悲に在ます我らが如来よ 如来が与え給える明き光と清きえい(さんずいに影)気と新しき糧とに依て 今日一日の務めを果したる恩徳を感謝し奉つる 又如来の神聖と正義と恩寵との光明を被むり今日聖意に契う務めを得たりしは全く聖寵の然らしむる処 深く其の恩徳を感謝し奉つる

現代語訳

真実の心をもって〔如来さま〕に感謝いたします。
 大慈悲によって、私たちを〔お導き下さる〕如来さまよ。如来さまが与えて下さる、明るき光、清らかな〔大慈愛に満ちた〕空気と、新しき糧の〔恵み〕によって、今日一日の務めを全うすることができました。その恩徳を〔心より〕感謝いたします。また、如来さまの〔真理の源である智慧の〕神聖と〔聖意へと行動する〕正義と〔聖意へと育む〕恩寵との光明をいただき、今日、聖意に従う務めができたのも、全て〔如来さまの〕聖なる恵みが導きくださったものと、深くその恩徳を感謝いたします。

解説

①えい(さんずいに影)気―この「えい」の字は『諸橋大漢和辞典』や明治・大正時代の漢和辞書など、確認できたどの辞典にも出てこない。ただ、宮沢賢治著『春と修羅』所収の「原体剣舞連」 (大正11年作、岩手県奥州市に古くから伝わる原体剣舞を見て作られた詩歌)の中に、「気圏の戦士わが朋たちよ 青らみわたるえい気をふかみ」と、弁栄上人の御遺稿以外で唯一「えい気」の用例を見出すことができる。そして、地球を包んでいる大気のある範囲をいう「気圏」や「青らみ」などの言葉から、「えい気」とは「空気」に近いニュアンスであろうと考えられる。
弁栄上人はこの『礼拝儀』の前形態である『讃誦要解』 (明治四十年七月出版)に「如来が与へ給へる明き光と清き空気と新しき糧とに依て」とあるから同じく「空気」に近いニュアンスで「えい気」の字を使われたのであろう。
御遺稿の『不断光』六十五頁に「本より如来の慈愛の霊気は日日吾人が呼吸する処のえい気これ如来の大霊気なり、衆生自ら之を識らずして唯の虚空の如くに思えり。まことに是誤れるなり。」とある。この文面から「えい気」とは「呼吸する」空気のことであり、「如来の慈愛の霊気(大霊気)」を指す。ただの何もない空間(虚空)と受けとめるのは誤りであるから「空」の字ではなく「えい」の字を用いられたのであろう。「えい」の字の「さんずい」は水をあらわし「影」は光を表す。水の潤いと、太陽光の清さ暖かさ明るさの大慈愛に満ちた空気であるから「えい気」というのであろう。私達の肉体を活かし、そして霊的にも活かし導く大慈愛が働いているのである。よって、「えい気」を「〔大慈愛に満ちた〕空気」と訳した。
②神聖正義恩寵―道徳や善悪の判断とその行動を正しき方(如実)へと導く三つの啓示の光明である。
 神聖―真理の源であり道徳秩序の原則であり、すべての意志(心)と行為をご覧になる如来の智慧。
 正義―邪悪なものを遠ざけ、聖意に適った神聖な行為へと導く勢力。
 恩寵―聖意を知る神聖の眼、聖意に適った行為をする正義の足など、私達を霊的に育むお慈悲。

出典

『礼拝儀』 ※「神聖正義恩寵」については『光明の生活』増補版二〇四頁・四六〇頁、『無量光寿』付録「大霊の光」三四頁、『難思光無称光超日月光』二二〇頁などを参照した。

掲載

機関誌ひかり第714号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」