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発熱の文 15 至心に発願す


至心に発願す
智慧と慈悲とに在ます如来よ 教主世尊が六根常に清らかに光顔永しなえに麗わしく在ししは 内霊応に充給いければなり 我らも完徳の鑑たる世尊に傚いて如何なる境遇にも姿色を換えざることを誓い奉つる 願わくは常に慈悲 歓喜 正義 安忍 剛毅 貞操 謙遜 真実等の徳を体し 外は怨親平等に同体大悲の愛を以て佗に待し得らるるように恩寵をたれ給え

現代語訳

真実の心をもって〔如来さま〕に願いをおこします。
 智慧と慈悲〔の光明〕を備えていらっしゃる如来さまよ。教主であるお釈迦様の〔眼と耳と鼻と口と身体と心の〕六根が常に清浄であり、光り輝くお顔は常に麗しくいらっしゃるのは、〔心の〕内に、〔如来さまとの〕聖なる感応が充ち満ちていらっしゃるからです。私たちは全てのお徳を備え、そのお手本であるお釈迦さまに倣って、どのような境遇であっても、常に麗しい表情と所作を保つことをお誓いいたします。〔私が今、如来さまに〕お願い申し上げることは、常に〔他を慈しむ〕慈悲、〔心が平和で喜びに満ちている〕歓喜、〔煩悩に支配される事なく、如来さまから与えられた使命に生きる〕正義、〔苦しいときも悲しいときも心穏やかに受け止める〕安忍、〔誘惑や煩悩に左右されることのない強い心の〕剛毅、〔如来さまのみにお仕えする〕貞操、〔慢心や愚かさに気付き謙虚に生きる〕謙遜、〔嘘偽りのない〕真実などの〔お釈迦さまが備えていらっしゃる〕徳を備え、対外的には好き嫌いの区別をすることなく、誰に対しても思いやりの愛をもって〔優しく〕接していくことができるよう、聖なる恵みをお与え下さいませ。

解説

①教主世尊―弁栄上人の釈尊観は大きく二種に分けられる。『宗祖の皮髄』に「大乗仏教の釈尊は大哲人たるとともに大宗教家なりしなり。『華厳』および『法華経』等の教主としての釈尊は、実際哲学の方面より真理を悟る道を示され、『無量寿経』は宗教の教主として宗教の模範をたれたまえり。」(改訂版一二三頁)とあり、この「至心に発願す」の教主世尊とは『無量寿経』所説の宗教的模範としての釈尊である。また「釈迦は人格を以て弥陀の光明を現し給う聖者なるべし。若し釈迦尊の光明的人格を以て弥陀を現すにあらざれば、此の地上の衆生に浄界の大光明尊の在ますことを証明せしむることが出来ぬ。」(『ミオヤの光』縮刷版一巻一九頁)と釈尊の光明的人格が阿弥陀仏の実在を証明していると述べている。この「至心に発願す」の中に「六根」「光顔」「姿色」と出てくるが、それは『無量寿経』の序分、釈尊が阿弥陀仏について説こうとする直前に、阿難が釈尊のお姿を「諸根悦予」「光顔魏魏」「姿色清浄」と讃えるその三相に相当する。その三相については『光明の生活』の中で詳細に述べられている。

②同体大悲―善導大師『観経疏』に「同体の大悲なるが故に、一仏の所化は即ちこれ一切仏の化なり。」とあり、釈尊が私達を分け隔てなく慈しむ慈悲はそのまま一切の仏の慈悲(阿弥陀仏の慈悲)であるとの意で「同体大悲」と説く。また弁栄上人は「一心十界の頌」という頌偈の「菩薩」の箇所で、「ぼさつは誓の海ふかく 菩提を求め衆生を度し 一切衆生を我身とす 同体大悲の極みなれ」 (『道詠集』三九九頁)とあり、すべての者を我身として慈しむ菩薩こそ、同体大悲の極みと菩薩を讃えている。前者は釈尊と一切仏が同体という意、後者は私と一切衆生が同体との意である。この「至心に発願す」の文脈からして、後者の意であることは明確であるが、「世尊に傚いて」という発願であるから、善導大師の説く釈尊(一切仏)の大悲を手本として実践していきたいとの願いも込められているのであろう。
  因みにその同体大悲の愛がないものは憐れむべき餓鬼であると『難思光無称光超日月光』の中で痛烈に述べている。「同体大悲の情操なものは他人を感化する力なく、斯の如き意志なきものは、たとえ其の業に成功するとも、唯だ利己の劣情を満足せるに過ぎず。大霊の意志たる大道に範らずして何にか達せん。彼が前途は唯だ死を怖るると此世に執着を遺すに在り。其の意志に於ては寧ろ憐むべき餓鬼に過ぎぬ。」(『難思光無称光超日月光』二三七頁)と。

出典

『礼拝儀』

掲載

機関誌ひかり第713号
編集室より
行者(この文を拝読する者)の発熱を促す経典や念仏者の法語をここで紹介していきます。日々、お念仏をお唱えする際に拝読し、信仰の熱を高めて頂けたらと存じます。
現代語訳の凡例
文体は「です、ます」調に統一し、〔 〕を用いて編者が文字を補いました。直訳ではなくなるべく平易な文になるように心懸けました。
付記
タイトルの「発熱」は、次の善導大師の行状にも由来しています。「善導、堂に入りて則ち合掌胡跪し一心に念仏す。力竭きるに非ざれば休まず。乃ち寒冷に至るも亦た須くして汗を流す。この相状を以って至誠を表す。」