中部支部 平成30年7月

西蓮寺例会

内藤 規利子

 西蓮寺には普通の色と変わった色の夾竹桃が咲いていて白い紫陽花が咲き、何色が咲くのかな?と思う紫陽花がありました。菩提樹の花は過ぎ実のなる準備をしていて、ピンクのツツジにとても癒やされました。書院には珍しい百合、夾竹桃、名前を忘れてしまった花がかわいく活けられていました。5月20日大田敬光上人様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。私からお願いして藤堂俊章上人様の編集された弁栄聖者のお慈悲のたよりを少し訳してお読み下さいました。

一切の行は仏行 第三
 三昧とは仏我無二 生仏一致の心理なり 光明讃称の時は讃声に神が入って声と心と共に仏となるなり。無量光の声に心も仏心と相応することなり。讃礼の時は即心仏と一致して無二となることなり。仏と我とがひとつになる。日光を見れば日と心と冥合す、ひとつになる。然らば日光もまたミダの光明と観じられる、風の音と融合すれば、松風即浄土宝樹の音と調べを和するなり。一切の行として仏行ならざるはなし。行住坐臥、着衣喫飯、放尿放屎、どんなことをしていても菩薩行ならざるはなし。一切所作即ち念仏三昧となるなり。まずもって三昧を学び給え。

 三昧とはもともとインドの言葉でサマーディ、そのようになり切った状態。念仏三昧、念仏になり切ったところということでお念仏させていただくと今のように一緒に南無阿弥陀仏と称えると周りの人にも助けられていつの間にやらお念仏を称えていないようでも称えているような気持ちになると念仏が私を助けてくれる。念仏とひとつになることを三昧という。仏の心と私の心がひとつになれるよう、有難い気持ちになれるように修行をして勤められたらどうでしょうか。生きていることがありがたく思えるように…それを三昧というように昔から言われています。仏様の気持ちと私達がひとつになって生きているありがたいなぁという気持ちになれるように親がいて有難い、子供がいて有難い、近所の人の温かい心も有難い、有難しと受け取ることが大事。そのためにお寺へ来て木魚を打ってお念仏する。よりよく生きられるように実行するのはお家に帰ってから…。
 奥様のオルガンで「灯」「涅槃会」を皆でうたいました。
ここから内藤のことです。
 整理をしていたらポロッとこのプリントが「私を書いて!」というように落ちて来ました。

 人間の生きる目的はお念仏称えて
 極楽に往生し、極楽で仏道修業して
 仏になることである
 仏とは絶対永遠真実を悟った絶対者

 南無阿弥陀仏と申して往生極楽間違いなしと信心決定し お念仏称えながら お念仏を称えられるように 此世を渡れば 神仏に守られながら 此世も楽に渡れますよ 法然上人
 私は5月20日の例会を体調悪く少し横になりながらもすますことができてホッとしました。今日22日入院しました。原稿を書くのは無理かな…とは思ったけれどいつ書けなくなってしまうか分からないので今ベッドに座って書いています。治療法も分からないと言われる中、不安を胸にいっぱい抱え込んでいます。いよいよの時の「緊急連絡先」をしっかり書かされ?て看護師さんにも念を押されて、やっぱりなぁ…。皆様方が励まして下さいました。「もう、まな板の上の鯉だよ」「当たって砕けろですよ」「どうなろうとも仏様にお任せして…」「お任せしとけば大丈夫よ」「仏様は検査がどっちになっても必ず救って下さいます」「お任せして安心していた方がいい…」「仏様が「寿命ですよ」とおっしゃればそれはそれとして受け入れましょう」「今生かされていることに感謝してお任せ…」「お任せしてお念仏してね」「病気を横に置いて取り組みをしないこと」「よくなるように祈っているからね。一緒に頑張ろうね!」等々。ありがたいことでした。主治医先生が「今日は会えないけど明日家の方に電話をかけますから…」とおっしゃったと看護師さんが…。えっ!とうとう「余命の宣告?」(私は「余命は言わないで下さい」とお願いしています)どっきりした私でした。まだお任せしきることができない私ですがお念仏をお称えして頑張りたいと思います。
南無阿弥陀仏