中部支部 平成30年6月

西蓮寺例会

内藤 規利子

 西蓮寺は緑が深くなって沢山咲いていた花が一段落していましたが菩提樹が蕾を付けてて山吹? が咲いていました。書院には君子蘭、ジャーマンアイリス、カキツバタが豪華に活けてありました。4月29日大田敬光上人様御指導のもと例会が開かれました。都合で西蓮寺さまの御檀家の一部の方と光明会の合同ということになり賑やかでした。御法話の一部です。
 なり切るということが大事ということで木魚を打ちながら木魚の音に合わせて心をひとつにまとめていく。心をまとめていくということは体の働きでみんなそれに従ってひとつになっていく。どうして木魚というかというと、お魚はいつも目をパッチリと開けている。お魚ですらああして目を開けているんだから人間が目を閉じているような生き方をしていては人間の値うちはないですよ。お魚の形をしている木魚を打つということは心の中の怠惰を戒める所以である。心の中の怠け心をパッと目覚めさせる働きがある。お念仏ということも心の目を覚ます為に木魚を打って仏様の心と自分がひとつになるということで思わぬ大きな働きが出てくる。それで浄土宗の中でもそういうことを実行された山崎弁栄聖者が浄土宗の中にはいろいろのお経本があるけれど、御自身が体験を元にしていろんなお経を読んで御自分の心をまとめられたのが礼拝儀です。朝、夕とおまいりの仕方を入れてあります。弁栄聖者のお手紙を残さなければいけないということで田中木叉上人がまとめられて本になっている。弁栄聖者はその人、その人に合ったようにお手紙を書かれている。学問をしていないような人でも分かるように書かれている。阿弥陀様の受け取り方を「あなたこうなさるといいですよ」と易しく書かれている。これが値うちなんです。難しい言葉を書いてあると学者の人にしか分からないが一般の人でも分かるから素晴らしい。仏様のことも説明の中味が深いのでそれが有難いんですよ。
 奥様のオルガンで「法然上人頌」を皆でうたいました。

ここから内藤のことです。
 5月号に書いた唐沢山別時のできごとのひとつです。昔の唐沢山別時は参加者が百何十人もあって一週間。お手伝いして下さる方も大勢いらっしゃったので参加者は私語厳禁でもっぱらお念仏と御法話です。長い御別時は「三匹の鯛を釣る」と言われています。「眠タイ」「膝がイタイ」「帰りタイ」(もしかしたら間違っているかも…)。
 ある男子高校生が膝小僧がものすごく痛くて少しもじっとしていられない。私も「膝がイタイ」を釣っていたので辛さがよく分かりました。その子が3日目位に正座してもピシッと座って微動もしなくなったのです。後で聞いてみると「こんなに痛い膝だったらいっそのこと如来様に預けてしまおう!」と思った時からピタリと痛みが無くなったとのこと。心からの願いを如来様は聞いて下さったのでしょう。終始膝小僧が痛かった私はそんなこともあるのかと感動しました。あの子ももう老年に入っています。今どうしていらっしゃるのでしょう。お念仏を続けていらっしゃるといいが…と思っています。導師の田中木叉上人様はお休み時間に皆さんに諏訪湖の方を見るようにおっしゃって景色を「目で見ず眉で見る」とおっしゃいました。「目で見ず眉で見る」、さてどうしたらいいのだろうと思いました。又ある時は「声に出してのお念仏」「舌と唇だけを動かして声に出さないお念仏」そして「唇は動かさず舌だけでするお念仏」。人前でもお念仏をお称えしていることが分からないでできるお念仏の仕方を教えて下さったのです。これは便利なことを教えていただいたと思っています。唐沢山別時の思い出です。
 私は今どうしているかと言いますと生検を採るという検査入院から退院しゴールデンウィーク明けの8日か10日の結果待ちです。とても具合が悪いです。でもお寺には是非行きたいと願っていました。息子が心配して「絶対に無理はしないように…」と言ってくれましたが、とにかく行かなくては「支部だより」が書けない。主人が運転免許証を返納して不便になってしまいましたがバスで行くことができてよかったです。今我人生最大のピンチです。連休明けを待って…どうなってしまうのか…。考えるととても大変なことになってしまいます。悪く考えないようにピンチをチャンスに変えることができたら…と思っています。私は常々言っています。「病気なんかしないうちに悟らなければいけない」って。「お念仏が進んで悟りが深くなってくると自然にお任せができるようになるんですよ」と近々先輩法友に教えていただきました。そうかぁ…と思いました。「お任せ、お任せ」なんて言っていないで自然にお任せできるようになることを願っています。お念仏をお称えして頑張ろう!
田中木叉上人様の歌

無量寿を含む一日又となき 
今日のいのちを尊く活きん

 このお歌が心にしみます。
南無阿弥陀仏