中部支部 平成30年2月

西蓮寺例会

内藤 規利子

 西蓮寺の天にそびえる大銀杏はまだ黄と緑のツートンカラーでした。錦木が赤く染まり黄色のモミジ、赤の紅葉が日光に映えてきれいでした。ピンクの椿が咲き中庭の池には日当たりに鯉が集合して鯉も明るい所が良いのかな?書院にはいろんな色のエゾギクと白っぽい葉っぱが活けられていました。12月3日大田敬光上人様御指導で弁栄聖者の御祥当の法要と例会が開かれました。外の弁栄聖者の倶会一処の塔の前で法要が為されました。昔はとても寒かったのに温暖化のせいでしょうか、寒さが緩み穏やかな日でした。合鈸がジャランジャラン大きな音がして紙の蓮の花びらが沢山はらはらと散り厳かでした。今年も無事にお勤めができてよかったです。
 私からお願いして藤堂俊章上人様が編集された弁栄聖者のお慈悲の便りを訳しながらお読み下さいました。

悲喜劇の俳優  第七
 喜びも悲しみもみな夢、苦しみも楽しみもことごとく幻のほど。実に人生はこの世を作り出した翁が仕組せしひと場の演劇なりとは。しかるに世の人はおしなべて、他人の悲劇は好んで見たいと思いながら自ら人界の舞台にのぼる活劇には、自分が悲劇の主人公となるなんてたまったものではないと逃げ出そうとするのはどういう訳だろう。人は生涯において自ら悲劇をも演じ喜劇の俳優ともなりて、老婆の役を経験するにあらざれば、人情の本当の所は悟られぬものとは昔からよくお聞きしている。老若男女、貧富貴賤のへだてなくこの人界に生を受けたる者はことごとく天の大ミオヤよりその身分に応じて役割を命ぜられし役者として見れば、どの人も自己の役を忠実に一心に力を竭してつとむる時は、必ずその報酬は世の終わりの日において、大ミオヤより与えられるべし。

 お慈悲のたよりは田中木叉上人によって是非これを残して皆さんに紹介しなくてはいけないということで数々のお慈悲の便りは本になっています。尊いものがこうしてまとめられて残されているお陰で今の時代でもお念仏が大事ということをほぼ受けとれるようなことになって有難いことですね。
光明会、光の会ということで一人一人の心が少しでもこういうお話を聞いて明るくなってくるような気持ちになっていただければ弁栄聖者もさぞ御満足の心でおって下さるに違いないと思いますね。
 奥様のオルガンで弁栄聖者哀悼曲、のりの糸を皆でうたいました。
ここから内藤のことです。
 以前から「校長先生が代わると学校が変わる」と聞いていましたが、テレビのドラマで会社員が出向で市立高校の校長先生になっていろいろ努力しているうちに、先生方の考え方が変わり生徒達も変わってきているという話に、私はすぐに光明学園の岡本薫校長先生のことを思いました。まだ岡本先生が就任される前のこと、弁栄聖者がお寺の一部で開かれた光明学園、それが毎月を経て立ちゆかなくなって存続か、自動車教習所に身売りかで緊迫したそうですがいろいろあって、又頑張ってみよう!ということになり立ち直り現在に至っています。岡本薫校長先生が就任されて「入学案内」の表紙に三昧仏様を掲げてから光明学園は急成長したと聞いております。岡本先生は五月の連休を別時の修養会として、先生方を登校させてよくお念仏の機会を作り、保護者には皆勤賞で良く褒めていたそうです。職員室はもとより教室、特別教室の黒板の上に三昧仏様のお写真がおまつりしてあり、そこから如来様の光明が高校生の子たちに注がれているという感覚だと聞いております。こんな学校は他には無いでしょう。いつだったか光明学園の記念式典に私の父母も招待されて行きました。素晴らしい光明学園がますます発展されますように微力ながらお祈りさせていただきます。
 私は息子が中一の夏休み家族旅行で弁栄聖者がお生まれになった千葉県の鷲の谷をたずね御生家の門の前にたたずみ東漸寺を拝み、聖者の建立された五香の善光寺をたずねました。鉢伏山親子別時でお友達になったお子さんのお母さんが車で案内して下さって助かりました。東京では「ハトバス」に乗って東京見物。私の親友のお宅を訪問し上野動物園にパンダを見に行きました。「混んでいてずんずん押されてパンダのお尻しか見えないよ」と親友に聞いていたけれどお陰様でその日はすいていてしっかり見られて笹まで食べてくれかわいいパンダでした。光明学園に寄って岡本薫校長先生と親しくいろいろお話をしました。私は近くであれば息子を光明学園に…と思ったのですが、いかにせん遠くて…。下宿させてやることもできずあきらめた思い出があります。あれから何十年も経ってしまっていつの間にやら私もおばあさんに…。お念仏だけは細々とではありますが続けてこられたことだけは良かったと思っております。これからも頑張ってお念仏をお称えしていきたいと思います。
南無阿弥陀仏