中部支部 平成30年1月

西蓮寺例会

内藤 規利子

西蓮寺の銀杏はまだでしたがハナミズキが紅葉していました。南天、万両が赤い実を付け千両が橙色と赤い実を沢山付けてかわいくなっていました。白い五弁の椿らしき花がはかなげに咲いて淋しそうでした。書院には実のなった木、カーネーション、グラジオラス、バラが活けてありました。11月19日大田敬光上人様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。私からお願いして藤堂俊章上人様が編集された弁栄聖者のお慈悲の便りを訳しながらお読み下さいました。

精神に病いなし 第二十七

 心が大いなるミオヤや即ち真の神と合する時は、身体に病いありても精神に病いなし。身の病いは自然より借りたるもの、身の内の自然と外の世界との自然と調和のできぬところから、傷めらるるは仕方のないこと。ただ調和のできる策を講ずる外はないでしょう。大ミオヤの威力を以て力としてあれば、心は健全にてあり、精神健全なれば精神を以て身体を保護し助力する。身体もし病む時、精神ともに病む如くは、身も保護し助力するものあるなし。必ず斃るか、しからざれば長く病気で寝込んでしまうことにもなるでしょう。大ミオヤは天地万物の備えを以て人々を生かしていて下さる。心を以て進んでお任せできるようなもの、何ぞ夫れ自分の体が自然に良い方に向かってくれるのでしょうね。
 回向とはどういうことか、いろんなくわしいことはありますけれども、亡くなった方をお偲びして御参りさせていただきます。どうぞ仏様に守られて行って下さいよ。という気持ちで亡くなった方を仏様にお参りしてその方の幸せをお願いする。仏様はよしよし幸せにしているから心配ないよ。回向とは振り向ける。こちらから向こうへお参りしてどうぞよろしく…。向こうの方ではこちらに向かってよしきた…ということで皆さんに向かって安心していなさいよということでちゃんと答えをいただける。私達一人一人が頼んでお参りさせていただきましたが仏様から見るとそういう方々も私の方に来ればみんなお浄土では仏様の修行をしておられるからその人達が後に残った人達を助けてやらにゃいかん。
 困っていることがあったら何とかしてやらにゃいかん。そういう方になっているからどうかそういう亡くなられた方の向こうでなさった修行の力をこちらに振り向けて下さるように。こちらから向こうの方の幸せを願ってお参りする気持ちがそのまま何倍にも大きな力を持って私達の方に注ぎかけて下さるということを受けとらなければいけないよ。振り向けるとはこちらから向こうへそういう気持ちを向けるだけでなしに向こうからもこちらにそういう気持ちをいただく。真心が交差するようなところが今のお参りの言葉になるんですよ。
 奥様のオルガンで「ほとけはつねに」「四弘誓願」「法然上人頌」を皆でうたいました。

ここから内藤のことです。
 私は一生懸命塩分をとってようやく平常値までこぎつけて、やれやれ。でもまだ眠くて歩いていても話していても。字を書いていても「眠い!」これが困ったものです。それでも行こうかな、と思った所へは行くことができるようになりました。孫娘のピアノの発表会があるという。「おじいちゃんとおばあちゃんが来てくれると喜ぶんだけど…」と娘が言うので「行く、行く!」と二つ返事で行くことに…。娘に会場を聞くと地下鉄の駅からすぐだという。その辺なら行けば分かるはず…と軽く考えて主人と出掛けました。改札で「4番出口」と聞いて4番を捜して地上へ。あれ?あっちかな、こっちかな、向こうかな?しばし考えてから歩く。無いなぁ…。たずねると「そこを右に曲がって行くとじきですよ」と。えー反対に歩いていたんだ!元に戻って歩く、『多分あるはずの』の所に無い!えーどうするの?又たずねると「あそこですよ」と指差す先に会館が。「有難うございました助かりました」とお礼を述べ急いで会場へ。孫娘は母親が作った黒と薄緑色のドレスがよく似合ってよかったです。休憩でコーヒーとケーキをいただいてしばし娘とおしゃべりタイム、午後は孫娘が司会をするというので見ていたかったけれど疲れないうちにとあきらめて帰宅。楽しかった!!その日のことで思いました。弁栄聖者が「この道を歩みなさいよ」と教えて下さったというお念仏の道。本を読んだり、お慈悲の便りを読んだりしてその道を行っているつもりでも間違った方へ行ってしまっているかもしれない。途中途中でお上人様方、先輩方、法友の方々のお言葉をよく聞いて間違った方へ行ってしまわないようにお念仏の高嶺を目指していかなければいけないとしみじみ思いました。田中木叉上人様の色紙に中央に精進とあり回りに“すべってもころんでものぼれふじのやま”と書かれています。私なんか滑ったり転んだりばかりで進めません。でも七転び八起き!富士山(お念仏)の高嶺を目指してお念仏を励みたいと思います。
南無阿弥陀仏