中部支部 平成29年7月

西蓮寺例会

内藤 規利子

 西蓮寺には夾竹桃、アメリカンディゴ、紫陽花、カンナが咲き地味ではあるけれど南天が咲き小型のクレマチスがかわいく咲いていました。八重の「ドクダミ」があるというので妹と見に行きましたが咲き終わっていて残念でした。書院には紫陽花と珍しい半夏生が活けてありました。6月18日大田敬光上人様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。藤堂俊章上人様の編集された弁栄聖者お慈悲のたよりを私からお願いして訳しながらお読み下さいました。

強忍と安忍
 この世間を娑婆というのは娑婆とは梵語にて訳すれば堪忍土、堪忍土とはこの世界自然にも、また人間同士のなかにも相互にいかなることにも堪えこらえどういうことにも忍ばねばならぬ世界というのである。いかなる憂き困難にあっても、それを勇ましく大丈夫に戦いてうち勝つ力をもって忍ぶのが強忍というのでどのようなことに対しても甘き物を食べるように安んじて忍ぶのを安忍というのである。けれどもそれは並々の人にはかなわぬことで実に絶対的に偉い力のあるもののたすけによっていかなることにも偉い偉い慈悲と御力によりて非常な力を加えていただきたすけてもろうて光明の日暮らしを得られるのが即ち念仏者の精神生活である。南無阿弥陀仏の気持ちを一人一人がしっかり植えつけてどんなことにも負けないで念仏していく心づもりを養っていくそれが大事。
真実の幸福
 人は金銀財宝は蔵にみち、位も尊くいかほどの栄耀栄花にも何不足なく、まだ無病にして長寿をたもつとも仮の幸福とは申しましょうけれども本当の幸福とは申しませぬ。なぜならば栄耀もみな夢まぼろしの中なればついに消えはつべきものにして生まれても必ず亡くなってしまう。盛りがあっても必ず衰えてしまう。天則はまぬがれがたきものばなり。たとい親類縁故身分の高い人低い人いろいろ百千もあっても会う者は必ず離れてしまう。故にそれは真実の幸福とは申しません。然らば何が真実の幸福でありましょう。となればこの真実無漏の妙なる法によりて安心を得、全て弥陀のめぐみに霊化せられたる心が大切、人は真実に弥陀の信心を得たる上はいかに困難の中にもよろこばれ、まずしきにも安んじられる気持ちも生じて夢の世の中の不幸も精神には幸福を感じられる。

 奥様のオルガンで「歓喜光」を皆でうたいました。

 ここからは内藤のことです
 6月もお寺まいり(例会)ができてよかったですとはいうものの体調は悪くなって又7月始め入院して生検を採っていただいていろいろ検査することになりました。赤ちゃんの頃よりかわいいなと思っていた子がいつの間にやらおじちゃんになってしまいました。私の記憶では大学の四年間だけお念仏の御縁があったと思います。その間に如来様の御光をいただいたのでしょう。この度何年かぶりで話す機会があっていろいろ話しているうちに私の病気の話になって何の彼のと言っているうちに「如来様にお任せして…」と言われて、あぁよかった!この子も如来様のことを忘れずに成長してきたんだなぁと嬉しく思いました。機会があったら又話してみたいと思いました。
 ついでに思い出した昔のことを…。
 光明学園を卒業された生徒さんがオートバイで走っている時に事故に会ってしまってその時に山のような大きな如来様が現れて下さって怪我もしなかったとのこと。その時「学校の修養会ではいい加減にしていたのにこんな僕でも助けていただけてありがたい…」と言っていたそうできっとそれからはお念仏を一生懸命されたのでは…と思いました。
 さて私はと言えばこの若いお二人に劣り年月ばかり早々と流れて悟ることもできずうろうろ。近々のこと病気で最高に参っている時に娘に説得されました。「お母さん!今かわる時だと思うよ今かわらなかったらかわる時がないよ。今かわらなくては…」。自分でも「今かわらなくては…」としみじみ思っている。それからしばらくして「お母さん、かわったね…」と言われました。それから又しばらくして「お母さん、何か戻っているような気がするけれど…」と悲しそう。「お母さんもそう思っている…」。「そう、分かっていればいいけれど…」娘はそれっきり何も言いませんでした。ある体調の悪い日に娘に「元気?」と聞かれ「元気じゃないけれど元気にしなきゃいけないと思っている…」と言うと「そう、元気そうでよかった…」と娘は少し嬉しそうでした。例会の後でのお茶をいただいている時、息子が「咳してたみたいだけど大丈夫?」と聞いてくれ「大丈夫だよ」と答えたけれど大丈夫じゃなかったのです「お任せ、お任せ」如来様を全て信頼する心が持てたら心配ごとはなくなるという。頑張ってお念仏をお称えしていこうと思っています。
南無阿弥陀仏