中部支部 平成29年3月

西蓮寺例会

内藤 規利子

西蓮寺の庭は、ろう梅が満開で何の椿か分からないけれど沢山の蕾がふくらんでいました。盆栽の白梅がかわいく咲いて鉢植えの葉牡丹がきれいでした。書院にはろう梅南天百合蘭が豪華に活けられていました。一月二十二日大田敬光上人様御指導で例会が開かれました。御法話の一部です。

一月は浄土宗にとってとても大切な月なんですね。法然上人がお亡くなりになった月です。亡くなる前に『一枚起請文』を書き残されました。ということで『一枚起請文』と弁栄聖者お慈悲の便り(一二九)を一緒にお読みしました。(ひかり誌支部だより平成二十五年三月号に同じお便りが載っております。)法然上人のおっしゃっていることを分かりやすくして下さったのが弁栄上人です。弁栄上人は今の時代の人の心がよく分かって、しかも御自分が極楽へ行った境地を体験された方として皆が認めている方なんです。弁栄上人のお弟子になられた立派なお上人方が浄土宗の中に出ておられる。そのお上人方にそれぞれ御縁をいただかれて育てられている。そういうふうになっていると縁つなぎができているということでありがたいことですよ。皆さんも自分の父母、おじいちゃんおばあちゃんなど誰かの御縁があってこういう所へ来るようになったということはあるでしょう。縁というものがが皆それを作っている。縁の無い人にはこういうことは通じないもんですよ。「縁を大事にしなさいよ」と教えて下さったのがお釈迦様。縁を大事にしなければいけないよ。縁を元にしていい方へ行けばよい結果を生んで正しい生き方になるよ。悪いことばかり縁にみていると苦しみばかりある所に行かなきゃならんようになる。少しでもいいから仏様の教えを聞くような御縁をいただいて、そういう中から生き方をだんだん自分なりにこれくらいはやっていけるだろう、そうすれば他人にあまり御迷惑をかけることもないだろう。私の一生も何とかやっていけるだろう。次に藤堂俊章上人が編集されたお慈悲の便りを私が読んで下さいとお願いしたのを訳しながらお読み下さいました。

「お米の犠牲」

折角に人間という学校に選び入らされて、十二光の光明によって信心開発の生活に入って大ミオヤの子としてこの学校を及第せねばならぬ。弁栄上人はよく現実は学校へ入っているようなものだよ。この世の中のことを勉強していろんなことが分かる自分にさせてもらわないといかんよと一人一人大事なこととしてやりなされやと言っておられました。現在の生活は日々の二三万の米が生命を献げて我らに食物となってくれるので、この人間の肉と血となって大ミオヤの光明生活に入るべき身にならんために米は犠牲となっている。もし日々二三万の米の生命を己が血肉となしておって日々に餓鬼の精神生活しかできなければ、食われた米までが餓鬼道に堕ちてしまうような気の毒なことになるでしょう。私達に命を献げてくれているお米が、私達が生き生きした本当の生き方になっておればお米も餓鬼道でただ食べられているだけ…とこんな嘆きの声にはならないでしょう。我が責任は重いものがある。この重い責任はとても自分の力では担われぬ無限の力ある大ミオヤの光明を仰ぐ他はない。奥様のオルガンで「清浄光」「歓喜光」を皆でうたいました。

ここから内藤のことです

師走のある日我が家に所用で人がいらっしゃるという。どんな方かな…と気にして待っていると若い方でした。「風邪を引いているから移すといけないから…」とマスクをしている。用事がすんでから「お茶をどうぞ…」と言うと「風邪引いているから」と遠慮されている。「いいからいいから…」とすすめると、お茶を飲みお菓子も。「美味しいですね」とニッコリされている。「風邪には熱めの緑茶を飲むといいんですってよ。普段から緑茶を飲んでいると風邪の予防にもなるそうですよ。」聞くと一人暮らしという。「ちゃんと野菜食べていますか?ワーファリンを飲んでる人はダメだけど糸引き納豆もいいんですよ」などといろいろおしゃべりして…。休日も無く働いているというので「日曜日があるのは体を休めるためだというから思い切って休まないと、体を壊すといけないから…」。何の彼のとおしゃべりして…。帰る時私のことをどこを気に入ってくれたのか第二のお母さんだと言って又会いたいから…と言って帰りました。後ろ姿を見送ってこの方の人生が少しでも仏縁のあるいい人生でありますように…と願っていました。如来様は私達の本当の御親、お母さんだと聞いている。お母さんだと思ってお慕いしてお念仏をお称えしていると如来様はその何倍も私達を思って下さるという。人のことでも子が親を思うより親の方が子を思い、いつも心にかかって忘れない。他所のお子さんでも懐くほうがより可愛く思えるからそうでしょう。私は亡き母が大好きでした。母への慕わしさをもっと広げて如来様をお母さんと思いお慕いしお念仏をお称えしようと思っています。

南無阿弥陀佛